彼はその年頃にシヨペンハウエルを最も熟読したと語つてゐる。不惑に近い齢を迎へて、最後のパトロンヌと入婿の形式をもつて結婚した。彼が芹沢姓を名乗るのは、この故にほかならない。女には先夫の子供が三人あつた。牝牛のやうに精力的で、悦楽のためにしか生きることを知らうとしない女の本能の迫力の前に、傷《いた》められ竦《すく》められた半生の姿をまざまざとかへりみながら、焦燥や怒りや悲しみを始めて痛切に感じたのだつた。女に愛された数々の記憶はあつても、心底から女を愛した覚えのない寂寥なぞも、いはば贅沢な感傷であるが、胸を流れた。それと同時に、又同様に、数々の絵を描き残しはしたが、ここに我ありと絶叫して悔ひない底《てい》の作品を嘗て物した覚えのない寂寥が、恰も女と表裏の関係をなすが如くに感傷の底につきまとひ、その焦燥や怒り寂寥悲しさを鋭いものにさせてゐた。
 扨《さ》て、蕗子は芹沢東洋が自分から働きかけた始めての女であつた。蕗子の愛をかちえた時、様々の難儀の後に、たとへば蕗子の家族との錯雑を極めた折衝なぞを乗り越えて、漸く蕗子を囲ふことができたときには、それが単に一女性の愛をかちえたことではなく、絵に就
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