ばれ、「山師の筋」とも称ばれ、時々は負けぎらひな「羽をむしられても喚きつづける鴉」のやうな精悍な気性を誇り得たことはあつても、むしろ概ね投機の打撃に打ちひしがれて尾羽打ちからした鴉のやうな乞食暮しをすることが多く、町民達の生きた「見せしめ」に引用されたり、笑ひ話の種になるのが普通であつた。さういふ一家の歴史の中でも芹沢東洋は特別ひどい逆境のさなかに生れた。二人兄弟の次男であつた。
十一歳の春、芹沢東洋は小学校も卒《おわ》らぬうちに、縁故によつて京都のとある染物店へ丁稚奉公に送られた。
十六歳の時、主家の縁戚に当る富裕な一未亡人にその画才を認められた。爾来この婦人をパトロンヌとして専心絵の修業に没頭することとなつたのだが、今に残る噂によつても、果してその画才を認められたものか、その容貌を認められたものか、判然としないと言はれる。それからの芹沢東洋は、名声のあがるところに必ずパトロンヌと金にめぐまれ、女と金と名声は恰《あたか》も三位一体のやうに彼の身辺を離れることがなかつたといふ。血気壮んな年齢に盛運を満喫したこの男は、調子に乗りながらもザジッグ的な厭世感をどうすることもできなかつた。
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