ものの女給か? 別に心やすい友達もないやうぢやないか」
「友達のうち。それだけは言つとく。言ひたくないのよ、それだけは。だから黙つて出かけやうと思つたの。私だつて大人なんだから自由にさせてよ。言ひたくないことだつて、案外ごくつまらない理由かも知れないけど、さういふことがあつたつていいぢやないの」
「誰も自由を妨げてゐないよ。無理に訊かうとも考へてゐない。俺はただ大袈裟な騒ぎがきらひだよ。疲れる、退屈だ。家出するほど大袈裟な事情なんてありやしない。お前のどこかに甘やかされ増長した計算があるのだ。考へただけでも胸糞がわるい。お前が自分すら偽り通してゐるならとにかく、さうでなかつたら他に言ひ方も、何か方法も有りさうぢやないか」
「親父の顔さへ見なければ憎くまずにゐられるもの。憎くがるのは相手が誰に限らずいやだ」
「そんなことはいい加減な嘘つぱちだ。誰だつて一思ひに家ぐらゐ飛びだしてみたいや。親父の顔に関係のあることぢやないよ」
この言葉は即興的な、かなりお座なりなものだつた。続いて起つた出来事に対して決して何等の洞察も含んではゐなかつた。第一私は人の身をそれほど真剣に考へてゐない。のみならず、私一人の肚の中では、かうは言ひながら寧ろ女の異常神経では厭な奴の顔を見るのが身の毛のよだつ思ひがする、さういふ場合もありうるだらうと考へてみたりしたのであつた。
妹は宣言通りその夜いづれへか出掛けてしまつた。
翌朝七時前のことであつた。赤城長平が寝不足な顔付をしてやつてきた。私を叩き起してから、この鈍重な、動作の至つて緩慢な男は暫く私をぼんやり凝視めてゐるばかりであつたが、
「君の妹がゆふべ僕の部屋へ泊つたのだよ」
と、彼は細い幽かな声でぶつ/\呟いた。私はびつくり顔をあげたが、長平はふだん通りの悄然たる泣顔の一種で、ぼんやりと私を凝視めてゐた。
「それをわざ/\知らせに来てくれたのか」
「さうぢやないよ」と、再び幽かに呟いた。
「僕は一晩ねむらないのだ。あの人はかなり熟睡してゐたよ。今朝目覚めると突然僕に命じるのだ。あの人が僕のところへ泊つたことを君に知らせて欲しいといふのだ。迎へに来てくれと言ふのですかと尋ねると、さうぢやない、ただ知らせるだけで充分だといふ、会ひたくはないと言ふのだ。明日からの行動はもう一々知らせることはしないし、どこへ行くか分らない、然し今日もわざ/\
前へ
次へ
全63ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング