に捨てられて馬鹿を見るのはお前のやうな学問もない器量も悪い女ばかりよ。これが田舎女でも芸者衆とかれつきとした料理屋の女中といふなら話は別だが、お前なんかは土百姓でも真面目な男は相手にしない素性の女で、大福に目鼻をつけた器量ぢやないか。よくせきの零落でもしなかつたらあのすき者の旦那がお前風情を相手にするものかよ。旦那は生れついての放蕩者で、かう言つてはなんだが儂らの土地でもさうたんとある人ではない、血も涙もないといふ噂もある人で、そこが場馴れた話上手でどういふ殺し文句を言つてゐるか知らないが、言葉の通りを真に受けて貰ふべきものもいらないの晴れて一緒になるのといふ夢のやうなことは考へないものだ」
「兄さんに買つて貰つた指環でも着物でもあるまいし、私がいらないといふものなら黙つてくれてもいいぢやないか。私はさうまでして旦那と別れやうと思つてゐないもの」
「俺が金のことを言うてゐると思つてゐるのか。まあいいさ。お前はさういふ馬鹿な女だ。いいか。俺の言ふ大事なところはここのところだ。旦那は生れついての放蕩者で何十年このかた近所近辺の嗤はれ者だが、持つたが病でこの齢になり乞食のやうに零落はしても浮気はやめられない。町の人には見離され昔の馴染も相手にしてくれなくなつても、それがあの人の報ひで世間の道理といふものだ。すこしでも物の道理を弁えた者ならあの旦那を相手にしないが当り前で、憫れみをかけるも阿呆といふのが普通ではないか。お前が馬鹿なばつかりにその極道の旦那に心中立てをする、世間の物笑ひになるばかりか旦那も陰で赤い舌をぺろりと出して笑つてござる、そのざまに気の付かないのがなさけないとこの俺が言うてゐるのだ」
「殴られやうと蹴られやうと騙されやうと殺されやうと私が好きなものなら」
 と、女はかすかに泣きはじめた。
「馬鹿でもずべたでも私も苦労した水商売の女だもの、私なりに男は見てゐるよ。あの旦那のいいところも見てゐるよ。それで騙されて本望なら兄さんは黙つといでよ」――
 こんな陳腐な情景を綿々と描写するのは私自身もやりきれない。然し有体に白状すれば、当事者としての私はこの情景に眼を背けたいとも思はなかつたばかりか、若干の好奇心にかられて事のなりゆきを見終りたいと思つたほどだ。然し私の心に明滅する三千代訪問の決意はそれを自由にもさせなかつた。私は彼等に眠ることをすすめておいて爽やか
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