よく、呆気にとられた女王に向つてベラベラ喋り、併せてゲラゲラ笑ひまくつて、白熱的に激励しながら送りだした。――何の杞憂も懐かなかつた空虚なクヰンの出立が思ひがけない悪い結果になることを、勿論夢想することがなく。――
その二 逃げたい人々
話はとりとめもなく混乱するが、生憎と私の筆を一層まごつかせるためのやうに、脈絡のない二三の出来事が数日のうちに輻輳《ふくそう》して起つた。完璧な物語りに比すまでもなく、殆んど何等の技巧も整理も施してないこのプリミチィヴな記述に於ても、改めて話を切りだすためには一応迷つたほどであつた。尤も事件の当事者としての私は、ひとつの出来事によつて、他の出来事に由来する心の負担をまぎらすこともできたといふ、この際としては天祐的な功徳もあつたが。
私の父(即ち芹沢東洋の兄)栗谷川文五は五十五歳であつた。五尺八寸の大男で、恰もボオドレエルの肖像に似た誠実な苦悩に富んだ詩人の容貌を持つてゐるが、有体は十銭握れば三十銭のみたくなる呑んだくれで、消極的な鋭さはあるが積極的な逞しさに欠けた不平漢とも言ふべき男か、常日頃いい加減な嘘つぱちか駄法螺を吹いて孤高に肉心二つながらの貧困をまぎらしてゐた。数年前の話であるが、私はある日新聞に偶然次のやうな広告を読んだ。
「尋ね人、六十歳の老人。六尺近き大兵。骨格逞しく特徴ある怒り肩なれど、鶴の如く痩せ衰ふ。顔面蒼白、額は広く眼光鋭し。常に空間の一点を凝視し、蹌踉《そうろう》と道を歩く。その様追はるる予言者の如し」
勿論父の人相書きではなかつたが、年齢を訂正すればそつくり父に当てはまる人相でもあつた。当時父は事業の重なる手違ひから半分は悲愴を気取る自棄《やけ》を起して呑みまはり、白昼は町外れの山林に隠れて睡るやうに考へこんでゐたといふが、夜毎に旗亭へ現れて痴酔のあげく、せせらぎの水音高い河原へ降りて前後不覚に砂利の上へ倒れてしまふのだといふ、梟のやうな生き方をして今更ながら町民の笑ひの種になつてゐた。妹のそんな消息があつた頃で、他人事《ひとごと》とは思へぬ不快な想念が私の頭をかきあらした。
私は肉親に就て物語ることがまことに不快だ。それといふのが肉親に特別の愛や憎しみを寄せてゐるからではなく、むしろ彼等に愛も憎悪も感じることがないからである。それにも拘らず、肉親と私との事々のつながり[#「つながり」に傍
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