現したのだ。その想念とは二千円の使途に関することであつた。二千円を受けとることになつたのが思ひがけない出来事にしても、突然沸き起つた想念は、これは又決して他の如何なる正常な又異常な状態に於ても、単に奇妙な、気まぐれな思ひつきとして以外には再び有り得ないことに見えた。私は全く吃驚した。あまりのことに、ひやりとした。しかもこの唐突極まる想念が、決して一時の気まぐれな思ひつきで終りさうな様子がなく、私の頭に黒雲のやうな次第にふくれる広がりを持ちはじめていつかな離れる模様も見えないことを知つては、手をつかねて茫然と呆れるほかに仕方がなかつた。
叔父の後姿を見送り、食つてかかる妹をふりはなして一人アトリヱに閉ぢこもつてみると、全てはハッキリしたやうに見えた。なぜといつて、私はもはやこの想念に抵抗できない状態であつた。この想念は已にしつかりした決意の形に変つて、単にその実行を残すばかりの牢固たるものにかたまる一方であつたから、私はもはや引きずられるほかに方法のない形であつた。
――してみると……私は思つた。
――ああ、夢を見る少年のやうな気持がするぞ。してみると、私のひとつの本心が、こんなところにも在つたのか! それにしても、どの奥深い襞の中に今まで隠れてゐたのだらう! どうにも遠い夢のやうな気持がするが……
私は実際この想念がさては私の本心だつたかと一時改めて考へてみたりしたのだつた。さう思ふほかに、あの時としては恰好のつかない状態でもあつた。私は夜もすがらまんぢりともせず、この想念の実行に頭をめぐらしはじめたのだ。
そこでこの思ひがけない想念とは?……私は暫くそれを言ふまい。私に対してそれが唐突であつたやうに、敢て読者にも唐突たらしめやうとするわけではないが、実は私の全く一片の気まぐれな悪戯心から、愈々私が二千円を投げだす時まで、この説明を一時あづかることとする。幸ひに諒されよ。
叔父はそれから数日の後、例の放浪に出立した。出立間もなく私と蕗子に宛て旅の第一信が訪れたこと、これを遺書と読み誤つて蕗子が私を訪れたこと、蕗子に万座行きをすすめたこと、それらは已に冒頭に述べておいた通りである。
話は元へ戻る。私は蕗子をその家に送りとどけ、ある大切な約束を果すために横浜へ向けて走りはじめてゐたのである。
私は前に、この約束を果すためには多少の準備が必要であつて、そ
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