ただしい感じによつて語りだしたが、実際の態度はむしろ幾分粛然と気取りすぎた感さへある静かさであつた。その話に対しては、私に返答の余地さへ見当らないかの宛然独壇場の有様であつた。つづいて、私にそれと分る沈黙の瞬間をおいて、秋子のことを語りだした。
「私はお前とあの人の恋に気付かないわけではなかつたのだ」
 と、叔父は私がむしろ反感を催すほど、空々しい何気なさで言ひだしたのだ。私は叔父のその態度に突然硬直するほどの立腹を覚えたことも忘れられない。私は侮辱を受けたかの飛びあがるやうな衝動すら覚えた。
「気付かないどころではなく、長らく嫉妬に悩まされてゐたほどだつた――」
 と叔父はつづけた。その告白的な態度を見ると、私の苛立ちは忽ちその絶頂に達し、私の唇は顫え、拳を握りしめずにゐられなかつた。叔父は然し私の亢奮には全く気付かず、言葉をつづけた。
「この年になつて漸く私にはつきり呑みこめたことが何だと思ふ? 愛慾だ。女だ。さうさ、この年齢で醜悪な執着と思ふだらうが、私は始めて恋情が私の生活の全てであることが分つたのだ。私はただ恋によつて生きてゐる。そのことを疑ふことは出来ないのだ。そのほかにも何かがある、仕事がある、義務がある、なにか悠久な感動がある。然し女が第一だ。私は理窟なしに断言する。私の心をもみくちやに踏みにじる恋情に縋りついてゐなかつたら、私は到底生き永らへてゐられないのだ。然し私はあの人を諦らめやうと思つた。諦らめることも、私のいはゆる恋情のうちの一つなのだ。私を生き永らへしめる恋は、恋をかちえることその一つではない。恋を失ふことも、私を生かす恋情の一つなのだ」
 私はもはや我慢がならなかつた。
「生憎僕はあの人が嫌ひです!」
 と、突然私は確信に満ちて言葉をはさんだ。私は実際のところ、自分のこの咄嗟の牢固たる確信には驚きもしたし、尚甚しきに至つては、頼もしくも思つたほどの状態だつた。
「余興だと言つた言葉は伊達の科白ぢやないのです。考へてごらんなさい。どこの馬の骨だか分らない醜怪な男の腹の下で散々玩具になつた女を、世界に一人の女のやうに女房にできますか! 僕は口程もない弱虫なんです。僕一人のことだけでさへ大変な重荷だ! まして連れ添ふ女の重荷まで背負ひこむなんて――」
 丁度画室のマントルピースに載せてあつた置時計、それはアトラスが時計を支へる恰好に出来てゐた
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