ヒ。常にさういふ能力があるといふわけでもないらしいが、たとへばひとつの亢奮状態におちこむと異常能力を発揮するらしいのだ。当らないこともあるらしいよ。千里眼の現象なぞは半分適中しないやうな状態ださうだよ」
「然しそれだけで充分だ! それは明確に Catalepsy といふ神経病の一つなのだ。日本語では一般に全身強直といふ訳名を用ひてゐるらしいが正確なことは分らない。見給へ。(彼は催眠術《ヒプノチズム》に関する分厚な文献を数冊探しだして我々の方へ持つてきた)ほらこの本をごらん。それから、この本もごらん。ヒプノチズムに関する限り先づ冒頭乃至は、とにかく本論にかかる前にみんな一様に一応ふれてゐるのがこの Catalepsy といふ症候に就いてぢやないか。つまりヒプノチズムを科学的に説明づけることは不可能であるが、然し Catalepsy なる神経病が存在することによつても、ヒプノチズムと人体との密接な関係を否定することはできないといふのだ。ことほど左様にこの症候は異常なものだ。勿論科学的に説明することのできないものだ。然し確かに在るものなのだ。十四五歳の少女の春情発動期に起るのが普通だが、稀には年増女、時には十五六の少年にこの症候の起つた例が文献に載つてゐる。この書物を見たまへ。これはロンブローゾの最晩年の著作で『催眠並に心霊現象の研究』といふものだ。主としてユサピアといふ霊媒に就いての実験を報告し、霊魂の存在を実証しやうとしたものだが、多数の実験の結果、それらの現象を科学的に説明することは不可能であるが、然し死後の生命の実在をそれらの実験によつても否定することはできないとロンブローゾは言つてゐるのだ。この本を出版するに当つては、世人の誤解を惧れるあまり彼の友人達が揃つて反対したらしい。実際この本に対しては、ロンブローゾの最晩年の著作ではあり、耄碌した世迷言だと見る人が多い。然し科学では説明のできない精神現象の存在に注目せずにゐられなかつた彼の情熱は、耄碌どころか、最も高度の知的巡礼者の敬虔な姿を見出したやうに僕には思へるのだ。この秘密に飛びつくことが科学の一つの重大な任務ぢやないか。生きる人間にとつてこのことほど重大な問題は少いぢやないか。ところでロンブローゾがこの著作の冒頭に取扱つてゐるのだが、矢張り御多分に洩れず Catalepsy に就いてなのだ」
「僕はこの少女の
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