事は恋愛であつた。恋に痩せ千々に乱れるといふのは奈良平安の昔から我が政治家の美徳です。ところが五郎兵衛は恋そのものにはさして乱れてゐませんでしたが、執念の女に追はれて、大いに悩んでをりました。
この女はお玉と云つて、元は加茂家の女中です。先夫人の死去と共に、いつとなく後妻のやうな位置に坐り、美人でもなければ才女でもないのですが、加茂家を切廻す権勢は大したものです。意地ッ張りで右と言つたら以後の人世は左に目をやらぬタチで、内助の功などは全くなく、先夫人の子供達は去勢された有様でありました。不思議なくらゐ五郎兵衛の頭が上らなかつた理由は奈辺にありますか、それでも彼は常住女色に踏み迷ひ絶えざる波瀾を捲き起してはをりました。
折しも五郎兵衛は踊りの師匠の娘と恋に落ち、漁色の余裕を喪失して真の闇路を踏み迷ふ身となつた。そのとき五郎兵衛は五十三、娘はとつて十九です。娘は琴、長唄、踊りなど諸芸に通じ、国文学の素養が深くて伊勢物語の現代語訳を遺した程の才媛ですが、又、自作の小唄など幽玄沈痛な傑作があつたといふ通人で、知る程の男子に悔恨を植ゑた佳人です。かほどの人が五十三の五郎兵衛と相思の仲に落ちた
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