さに比べれば、永く注意を惹かなかつたです。私は唇をみつめてゐました。あなたはこの世に無限の物を見たことがありますか。私は法隆寺を見物しました。千年の昔からつゞき、そして之から何千年つゞくか知れませんが、私は然し心を動かされませんでした。あれは無限ではないです。夢殿の観音も見ましたが、私はグロテスクだと思つたゞけです。私は妹の唇を見てゐるうちに心をうたれて、無限だと思つたのです。私は妹と一緒に死ぬのはいけないことだと思ひました。私は泣いたです。一日中、寝たふりをして泣いてゐたです。泣くわけが分らなかつたですが、涙が流れていつまでも涸れないので奇妙でした。一日一晩泣きあかしたです。そして死ぬのをやめました。けれども、その後も、今も、生きてゐるのが面倒です。私は今でも時々妹の唇をぬすみ見しますが、見るたびに、段々と別のことを思ふやうになつたです。もはや無限ではないのです。私には手のとゞかない秘密があるのだと思つたです。妹は美しすぎます。私は妹を見てゐると、十里四方もつゞく満開の桜の森林があつて、そのまんなかに私だけたつた一人置きすてられてしまつたやうな寂しさを感じます。私は花びらに埋もれ、花
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