露の答
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)新撰姓氏録《しんせんしょうじろく》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)光風|霽月《せいげつ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から5字上げ]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)コセ/\した
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[#地から5字上げ]ぬばたまのなにかと人の問ひしとき露とこたへて消なましものを
その一
加茂五郎兵衛の加茂は古い姓です。加茂の地名や賀茂神社など諸国に見られ、之は上古に於ける加茂族の分布を示すもので、神代の頃加茂族なる一部族があり、後世諸国に分散定住し祖神を祀つて賀茂神社と称した。この部族の生業は鍛冶ではなかつたか、といふことが今日一部の民族学者によつて言はれてをりますが、加茂族だの諏訪族、三輪族など、之等は先づ国神系統の代表的な氏族でせうが、その他何々、新撰姓氏録《しんせんしょうじろく》に数百の姓氏が記載せられて古い起源を示してゐるのは衆知のことです。ところで、加茂五郎兵衛といふ人物は実際は加茂五郎兵衛といふ姓名ではありません。
明治大正の頃は知る人もあつたでせうが、今日となつては変名の必要もないかも知れぬ。けれども一時はともかく若干政界に名前の通つた人物であり、累の及ぶことを憚り変名を用ひたまでゞ、本当の姓は、加茂に類する古い姓の一つです。私が古い姓氏だの部名に就ていくらかでも知識のあるのはこの人の伝記を依頼せられて調べたことに由来し、実際この人の郷里に残る字の名や氏神などに氏族の伝統を語る名残りが歴然と有り、茫々二千年三千年、私もいさゝか感慨があつた。尤も人間誰しも類人猿以来の古い歴史があるのですが。それで変名を用ひるに当つても、之にこだはる思ひが残つて、加茂族の加茂を借用に及びいさゝか懐古の感慨を満した次第です。したがつて、人物の変名につれ、町村山河の名も仮名ですが、天地は玄の又玄、物の名の如きは問題ではないといふ、之は大体加茂五郎兵衛の思想でもありました。
尤も加茂五郎兵衛は決して大政治家ではありません。今で申せば政務次官ぐらゐのところで政界と縁を切りましたが、このときは大変な騒ぎであつた。
時の内閣に大命が降るに就ては裏に事情があつて、その代り之々のことを実現してく
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