露の答
ぬばたまのなにかと人の問ひしとき露とこたへて消なましものを
坂口安吾

−−
【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1−2−22]
−−

        その一

 加茂五郎兵衛の加茂は古い姓です。加茂の地名や賀茂神社など諸国に見られ、之は上古に於ける加茂族の分布を示すもので、神代の頃加茂族なる一部族があり、後世諸国に分散定住し祖神を祀って賀茂神社と称した。この部族の生業は鍛冶ではなかったか、ということが今日一部の民族学者によって言われておりますが、加茂族だの諏訪族、三輪族など、之等は先ず国神系統の代表的な氏族でしょうが、その他何々、新撰姓氏録に数百の姓氏が記載せられて古い起源を示しているのは衆知のことです。ところで、加茂五郎兵衛という人物は実際は加茂五郎兵衛という姓名ではありません。
 明治大正の頃は知る人もあったでしょうが、今日となっては変名の必要もないかも知れぬ。けれども一時はともかく若干政界に名前の通った人物であり、累の及ぶことを憚り変名を用いたまでで、本当の姓は、加茂に類する古い姓の一つです。私が古い姓氏だの部名に就ていくらかでも知識のあるのはこの人の伝記を依頼せられて調べたことに由来し、実際この人の郷里に残る字の名や氏神などに氏族の伝統を語る名残りが歴然と有り、茫々二千年三千年、私もいささか感慨があった。尤も人間誰しも類人猿以来の古い歴史があるのですが。それで変名を用いるに当っても、之にこだわる思いが残って、加茂族の加茂を借用に及びいささか懐古の感慨を満した次第です。したがって、人物の変名につれ、町村山河の名も仮名ですが、天地は玄の又玄、物の名の如きは問題ではないという、之は大体加茂五郎兵衛の思想でもありました。
 尤も加茂五郎兵衛は決して大政治家ではありません。今で申せば政務次官ぐらいのところで政界と縁を切りましたが、このときは大変な騒ぎであった。
 時の内閣に大命が降るに就ては裏に事情があって、その代り之々のことを実現してくれろ、そういう条件が世話人と某方面とに結ばれておった。勿論世話人から新総理たる人にその旨通じてはありましたが、この新首相が、大政治家というのか大思想家というのか、之を称
次へ
全8ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング