た。女中に腹を突刺されるという三面記事は醜態ですが、それにしても、丁度ハラキリが有っても良いときに背中ではなく腹を突刺された五郎兵衛は幸運でした、これは五郎兵衛の長男であり加茂家の当主たる人が目撃した事実ですから、間違いはない。
そのとき、五郎兵衛は落付いていた。傷口を片手で押え、家人に向って真相を口外するなと申し渡したそうですが、五郎兵衛が落付いているので、手の指の間から臓物がたれ落ちていても、家人は傷が浅いのだと思っていた。実は瀕死の重傷でした。五郎兵衛は血のたれる脇差を執上げて眺めすかしてバカめ、之は金比羅様(だか稲荷様だか)の参拝の道の茶店の床の間で見付けて二十五円(だかいくらだか)で買った安物だ。選りに選って一番安物を掴みだしてくるとは貴様の下素根性のせいだろう、とブツブツ叱言だか強がりだか言っていたそうです。そこで病床から指図して、お玉の別居を申渡した由ですが、之は快心事であったに相違ない。さすがのお玉も抗する術なく、かくて退院と共に晴れて新婚生活にはいったのですから、五郎兵衛は腹の脇差を最大限に利用して利息まで稼いだ。爾来政界への野心もなく悠々新夫人との生活を愛したのですが、新夫人は幸薄く、五郎兵衛に先じて鬼籍の人となった。わすれがたみが一人、女児で、折葉という。五郎兵衛は折葉を愛すること一方ならず、散歩に、酒席に、観劇に、訪問に、影の形に添う如く手放したことがない。折葉はこの物語の主要なる人物の一人です。
五郎兵衛は折葉十二の年に永眠しました。晩年は読書、碁、酒、観劇などに日を送り、折葉にまさる愛人はなかったと申しますから平穏な晩年です。
その二
私が加茂五郎兵衛の伝記編纂に当ることになったのは、木村鉄山先生のはからいでした。先生は明治中期の政客ですが、明治後期は企業家、大正以後は趣味家です。別段出入りをしていたわけではなかったのですが、同郷のせいで私の名前を記憶にとどめておられ、折にふれて拙作に目を通されたこともあった由で、一般の世評よりも高く評価して下さった。それで加茂五郎兵衛の伝記をあの男にやらせてみよう、そういうことになって、先生のお宅へ招ぜられて、貴君は目下不遇なる三文文士だけれども筆力非凡将来の大器であるから作中の人物としては加茂五郎兵衛が不足かも知れぬがマアこの際役不足を我慢して御尽力願う、などと最大級に激励し
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