が微笑しながら話しかける度に少年は怒つた顔をして、さうです、とか、いゝえ、とか、ただそれだけの返答をした。そして、焼けつくやうな眼を、令嬢と画布へ交互に走らせてゐた。
一日急用があつて、令嬢は少年に断りなしに十日程の旅に出た。帰ると、生憎それからの数日は連日の雨であつた。そして慌ただしく夏が終らうとしてゐた。
雨の霽《は》れた昼、令嬢はきらきらするポプラの杜へ登つていつた。いつもの場所へ来てみると、少年は、其処へ据えつけられた彫刻のやうに、黙然と画布に向つて動かずにゐた。
「明日、あたしは東京へ帰るの……」
「もう、一人でも仕上げることが出来ます」
少年はぶつきら棒に答へて、令嬢が姿勢につくことを促すやうに、もう画筆を執り上げてゐた。雨の間に、去り行く夏の慌ただしい凋落が、砂丘一面にも、そして蒼空にも現れてゐて、蝉の音が侘びしげに澱んでゐた。画は令嬢の予期しなかつた美しさに完成に近づいてゐた。別れる時、令嬢は再び言つた。
「もう、お別れね。明日は東京へ帰るの……」
「もう一人でも仕上げることが出来ます」
少年は怒つたやうな、きつぱりした声で、同じことを呟いた。そして、朴訥な手つ
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