から、困つたやうに、筆を玩びはじめた。
「では――」令嬢は少年の頭へきつぱりした言葉を残した。「二度と睨んだりしませんね!」
そして鋭く振向いて戻りはじめた。併し令嬢が振向く途中に、少年は突嗟に顔を挙げた。そして、傲岸な眼に光を湛えて、刺し抜くやうに彼女を睨んだ。もはや令嬢は振向いてゐたので、どうすることも出来なかつた。
「あの子はきつとお嬢様を思つてゐるのでございませう」と女中は言つた。それは愉快な言葉であつたが、彼女を安心させなかつた。自分はなぜ、あの時再び振向いて、叱責してやらなかつたかと悔まれた。
翌日の同じ時刻に、令嬢は一人で砂丘の林へ行つた。傲岸な眼は果してその場所で画布に向つてゐたが、令嬢を認めると、明らかに狼狽を表して、やり場を失つた視線を画布に落した。令嬢は画布越しに少年のもぢやもぢやした毛髪を視凝めてゐたが、次第に和やかな落付が湧いてきた。
「貴方は此の町の中学生ですか?」と令嬢は訊いた。
「さうです」と少年はぶつきら棒に答へた。
「貴方は画家に成《なる》のですか?」
少年はむつつりとして頷いた。そして慌てたやうに画筆を玩《いじ》りはじめた。令嬢は胸の閊《つか
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