品で、その商品としての媚態に対して最高の商人的な徳義と良心を持つてゐる。その良心は優秀なる媚態といふことで、貞操などとは無関係だ。貞操などといふものは単に精神上に存在するのみであつて、物質としては一顧の価値もない。根柢的な物質主義を基盤として成立つてゐる娼婦の思考は無貞操といふことに罪悪感は持ち得ず、男を無上に喜ばせるといふことに対して当然にして莫大な報酬を要求してゐるだけのことだ。マノン・レスコオの場合に於てはその薄命の最後に至るまで変らざる愛人があつたが、これはプレヴォ僧正のせめてもの常識的な道徳に対する賄賂であり、世の実相は概ね此の如きものではないだらう。マノンの不貞節は一人の愛人に対する変らざる真実の情熱によつて徳義化しうる性質のものではない。もしそれが徳義化し得るなら、それ自体の本質によつてである外に道はない。
ショデロ・ド・ラクロの「リエゾン・ダンヂュルーズ」(危険な関係、と訳すべきか)はかゝる天性の娼婦に高い身分(侯爵)と高い教育を与へ、マノンに於て盲目的であつたことが、最も意識的に、即ち愛の遊戯を明確なる人生の目的とした男女の場合を描きだしたものである。侯爵夫人によれ
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