ば愛の遊戯の満足は肉慾の充足自体ではなく、そこに至る道程の長い悩殺と技巧と知識の中にあるので、そのためにあらゆる観察と研究が行はれてゐるのである。この小説は昭和初年に猥本の限定出版物の中に訳されたことがあるのだが、愛慾に対する追求が誠実であるほど猥本の領域に近づくことは当然で、日本に於ては今日まで訳されて一般に流布する見込みの立たなかつた作品だ。私はあらゆる本を手放したときにもこの原本だけ大事に所得してゐたのであるが、小田原の洪水で太平洋へ流してしまつた。
 かゝる人性への追求は永遠に「家庭」と相容れないものであり、その限りに於て不道徳なものであるが、果して「家庭」とは何物であるのか。家庭のために人はかゝる遊びへの欲望を抛棄すべきものであるか。思ふに我々の陰鬱なる家庭は決してしかくあくまで守らねばならぬ値打を持つものではないだらう。我々の家庭は外形内容ともに尚多くの変貌変質すべき欠陥があり、家庭の平穏に反することが直ちに不道徳を意味することは有り得ない。
 通用の道徳は必ずしも美徳ではない。通用に反する不徳は必ずしも不徳ではなく、かゝる通用の徳義に比して、人性の真実といふものには如何な
前へ 次へ
全10ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング