でだけ捉えられて、他のことは切り離されている。
 その捉え方が、主観的、感性的で、自分をも含めて客観された後に発現した感性とちがう。
 たとえば、警視総監は、女主人公を突ッ放して笑遁の術を用いるけれども、女主人公は、大きな荷物を両手に二つも持ったことがないから、という理由で、屋根から荷物を投げ渡して脱走しようという少女に、クルリと背を向けてしまうのである。
 この女主人公の態度は、少女から見れば、警視総監の笑遁の術よりも、冷めたく、残酷な仕打に感ぜられ、突き放されたであろう。大きな荷物を両手に二つも持ったことがないという理窟は、警視総監の笑遁の術にも同じ理窟がある筈で、この女主人公は自分の理窟は分るが、人の理窟が分らないだけの話なのである。
 私は少女に打撃を与えている女主人公のエゴイズムを悪いというのではない。あの小説一篇の中で、際立ってめざましく印象に残るのは、少女にクルリと背を向けて歩きだした女主人公の冷めたさである。
 少女のずるさを見抜くところも、シンラツで、意地が悪いが、又、めざましい。あれで少女を突き放さずに、まだ、援助しようなどと、甘ったるく同情しているから、やりきれな
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