でもない。
 それは谷村の幻想だつた。彼は元来必ずしも幻想家ではない。ところが、信子の場合に限つて、彼は甚しく幻想家であり、その幻想を土台にして、きはめて気分的に、肉体のない、たゞ魂だけの恋といふことを考へてゐた。長々それを思ひ耽り、それが幻想的であり、気分的であることを疑りもせず、そしてたうとう本当に打開けてみたいと思ひたつて、外へでて、歩きだして、やうやく、気がついた。信子はたしかに妖婦なのである。谷村は肉慾を意識しない。然し、信子は、谷村の知り得ぬ方法で、何人からか、莫大な生活費をせしめてゐる女なのである。谷村の歩く足は次第に力を失つた。
 彼は藤子に会はうと思つた。先づ藤子に計画を打ちあけて、批判をきかうと思つたのである。

          ★

 藤子の旦那の上島といふ株屋が居合せた。彼は目をまるくした。
「そんな素敵な妖婦が日本にゐますかね。え? どうも、信じられない」
「いえ、本当よ。すくなくとも、二十人ちかい情夫があるわ。そして、信子さんは、どの一人も愛してはゐないのよ。あの人は愛す心を持たないのだわ。先天的に冷酷無情なのよ。生れつきの高等淫売よ、口説いたつて、感じ
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