べきかを疑つた。
信子の顔のほてりが、たゞ一瞬の幻覚であつてくれゝばよい。否、すべてが信子の天来の技巧であつてくれゝばよい。谷村はわが肉体の悲しさ、あさましさが切なかつた。その悲しむべき肉体を、信子の異常な情炎をこめた肉体に対比する勇気がなかつた。彼は羞しかつた。そして恐怖を覚えた。無力を羞ぢる恐怖であつた。
そして、かゝる恐怖があるのも、待ちまうける希ひがあつてのことだつた。谷村の心は何、と訊かれたら、彼はたゞ答へるだらう。分らない。成行きが、その全てだ、と。
「信ちやんは、贋物の恋は好き、と言つたね。僕の恋は贋物ではない。偽りの恋といふのだよ。偽りは真実であるかも知れぬ。然し、贋物は、たぶん、贋物にすぎないだらう。信ちやんは骨董趣味に洒落たのかも知れないが、その洒落は僕には良く通じない。然し、僕は思つた。信ちやんは僕の告白を許してくれたのだ、と。それを信じていゝだらうね」
信子は窓を下した。
「冬の風は、あなたに悪いのでせう」
「すぐにも命にかゝはることはないだらうと思ふけれどもね」
「なぜ、窓をとぢてと仰有らないの」
「信ちやんがそれを好まないからさ」
「あなたの命にかゝは
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