り目ざましすぎたから。彼の古い幻想は唐突に打ち砕かれてゐた。そして、新たな幻想が瞬時に位置をしめてゐる。それは信子の肉体だつた。彼がそれまで想像し得たこともない異常な情熱をこめた肉体だつた。
なぜ今まで、この肉体を思はなかつたかと谷村は疑つた。思ひみる手がかりがなかつたのか。それもある。然し、肉体のない、魂だけの、といふこと自体が不自然だ。幻想的でありすぎる。その幻想は自衛の楯だと谷村は思つた。信子にふられることを予期しすぎ、飜弄されることを予期しすぎての楯の幻想にすざないやうな思ひがした。信子の肉体は思はなくとも、その美しさは知つてゐた。そして、たゞ飜弄せられる激情のみを考へてゐた。その幻想の甘さを、彼は今まで不自然だとは思はなかつたゞけである。
疑り得ない一つのことは、かなり遠い昔から、信子が好きであつた、といふことだつた。
★
信子は窓際から戻らなかつた。谷村はそこへ歩いて行つた。彼は自分の病弱の悲しい肉体のことを考へた。このやうな悲しい肉体が、その悲しさのあげくに思ひ決した情熱も、やつぱり魂のものではなしに、女体に就いてゞあつたかと思ふ。それを信ず
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