。なぜなら、犬は死ぬから。すると、悲しい思ひをしなければならないからよ。私は悲しい思ひが、何より嫌ひなのですもの。私が悲しむことも、いや。人が悲しむことも、いやよ。私は半日遊んで暮したい。半日はお仕事するのよ。私はお仕事も好き。何か忘れてゐられるから。遊ぶことすらも、忘れてゐられるからなのよ」
信子の顔はほてつた。言葉はリズミカルに速度をました。それは、やゝ、狂譟《きょうそう》といふべきものだ。顔のほてりが谷村に分るのだから。
「あゝ、あつい」
信子は振り向いて、窓際へ歩き去つた。
★
贋の恋の遊びなら尚好き、と信子は言つた。それは告白に対する許しだらうと谷村は思つた。
ところで、谷村は許しに対する喜びよりも、更に劇しい驚きに打たれた。それは信子の顔のほてりであつた。それはまさに予期せざる変化であつた。暴風の如き情熱だつた。顔に現はれたのは、たゞ、ほてりにすぎなかつたが。
谷村は信子に就いて極めて精妙な技術のみを空想してゐた。かりそめにも荒々しい情熱などは思ひまうけてゐなかつた。顔のほてりは、たゞそのことを裏切つたのみではない。信子に就いての幻想の根柢
前へ
次へ
全37ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング