だけで満足した。そして、それだけで満足し得たことにも、満足した。言ひきることほど、下らぬことは有り得ない。それはこの部屋の真理であつた。
「僕の謎々はもう終つた」
 谷村はその体内から言葉を押しあげてくる力を覚えた。
「僕は信ちやんの天来の犯罪性にぞつこん迷つてしまつたのさ。目にも、鼻にも、迷ひはしないよ」
 さうでもなかつた。彼は信子の目も鼻も好きであつた。

          ★

 信子はいつも、ぱつちりと目をあける。ゆるやかには、あけなかつた。
 信子は手にしていた林檎を皮ごと一口かじつた。平然として、かみついた。歯が白かつた。
「あなたも、かうして、めしあがれ」
 いくらか谷村をひやかすやうな調子があつた。事実、谷村は林檎を皮ごとかじる習慣をもたないのである。然し、ひやかしは必ずしも林檎に就いてゞはない。谷村は常に意表にでられてゐる。ひやかしはその意味だつた。皮ごとかじりつく歪みと変化の美しさを信子は意識してゐるのである。
 信子は二口かじつて、やめた。
 なぜ一口でやめなかつたか、谷村は問ひたかつたが、やめた。それはたしかに愚問であつた。二口でも、美しい。三口でも、美しい
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