ない。然し又、幼さが漂ふのも、鼻から唇へかけての線である。信子の顔のすべての感じが薄かつた。だが、やはらかさ、ふくらみに気付くとき、信子の気質のある反面が思はせられる。そこには理想と気品があつた。ある種のものには妥協し得ない魂の高さがあつた。
この女は死に至るまで誰のためにも真実を語らない。肉慾の陶酔に於てすら真実の叫びをもらすといふことがない。信子はその不信によつて人を裏切ることはない。なぜなら、真実によつて人をみたすことが永遠に失はれてゐるのだから。
谷村は公園の鋪道の隅の小さな噴水を思ひだした。彼は山で見た滝の大きな自然が厭らしかつた。河は高さから低さへ流れ、滝は上から下へ落ちる。自然のかゝる当り前さが、彼は常に厭だつた。水は上へとび、夜は明るくならねばならぬ。人工のいつはりがこの世の真実であらねばならぬ。人の理知は自然の真実のためではなく、偽りの真実のために、その完全な組み立てのために、捧げつくされなければならぬ。偽りにまさる真実はこの世には有り得ない。なぜなら、偽りのみが、たぶん、退屈ではないから。
谷村は信子によつてだまされる喜びを空想した。彼自身も信子をだまし得る役
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