、和服だの、そして、たぶん、裸体はなかつた筈だ。あんまり平凡で、常識的すぎるのだもの。然し、だん/\分つてきた。信ちやんの絵はお喋りではない。好奇心がないのだ。ところが外の連中は、たとへばうちの素子のやうな常識的な女でも、ごて/\とお喋りで、好奇心ばかりの絵をかくのだね。別段その絵に作者の夢が託されてゐるわけでもない。架空な色彩の遊びがあるだけなのさ。信ちやんにはその架空な遊びが必要ではないのだね。むしろそれが出来ないのだ。信ちやんは絵の中に好奇心を弄する必要がない。信ちやんは生活上に天性の芸術家だから」
谷村は和かだつた。顔には笑ひすら浮んでゐた。然し彼は信子の顔から注意の視線を放さなかつた。この放心の表情と、肩と胸と腕のゆるやかにだらけた曲線の静かさは素晴らしい。けれども、もつと素晴らしいことが起る筈だ。ある変化が。いつ又、いかにして。その瞬間を見逃すまいと彼は思ふ。然し、彼は猟犬ではなかつた。信子の破綻を全く予期してゐなかつたから。すでに彼は信子の技術を疑はなかつた。そして、その万能を信じたいと思つた。
谷村は遊びたくなつてきた。もつとふざけてみたくなつてきた。言ひたい放題に
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