のために、他の一切をすてゝ顧みない力が宿つて欲しいのだ。僕はすこしムキになりすぎてゐるやうだ。つまり僕の心がムキでないから、ムキな言葉を使ふのさ。僕は肉体力が弱すぎるから、燃えるやうな魂だけを感じたい。肉体よりも、もつと強烈な主人が欲しい」
 喋りながら、断片的な色々の思ひが掠めて行つた。たとへば、退屈といふこと、自己誇張といふこと、無意味といふこと、本心の狙ひから外れてゐるといふこと、自己嫌悪といふこと、もう止したい、眠つてしまひたいといふこと。
 けれども、それらが信子の顔と姿態によつて一つづつ吹き消されて行く快さを谷村は覚えた。それはその快さを自ら納得せしめるための彼自身の作意ではなかつた。想念が信子の顔と姿態に吸はれて掻き消えて行く。いつも意識に残るものは、信子の顔と姿態がすべてゞあつた。
 それも媚態の一つだと谷村は思つた。最も人工的な、ある技術家の作品だつた。谷村の忘れ得ぬ驚きが一つある。それはその瞬間には気付くことができなかつた。気付き得ぬところにその意味があるのだから。
 信子はいさゝかも驚かなかつた。谷村の唐突な口説が始められた瞬間に於てすらも。素朴なもの、無技巧なも
前へ 次へ
全37ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング