と頭に沁みて、恋の告白をするやうなとりのぼせた思ひがまつたくなかつた。
谷村はためらはなかつた。これから何かゞ起るのだ。一つの門がひらかれる。ひらかなければならない。彼は先づ身を投げださなければならないことが分つてゐる。門に向つて。
「僕は前奏曲を省略するから。信ちやん。僕は雰囲気はきらひなのだから」
彼の落着きはまだつゞいてゐた。
「僕はね、恋を打ちあけに来たのだよ、信ちやんに。恋といふものではないかも知れない。なぜなら、僕の胸は一向にときめいてもゐないのだからさ。僕はね、景色に恋がしたいのだ。信ちやんといふ美しい風景にね。僕は夢自体を生きたい。信ちやんの言葉だの、信ちやんの目だの、信ちやんの心だの、そんなものをいつぱいにつめた袋みたいなものに、僕自身がなりたいのだ。袋ごと燃えてしまひたい。信ちやん自身の袋の中に僕が入れてもらへるかどうか知らないけれども、僕は信ちやんを追ひかけたいのだ。この恋は僕の信仰なのだ。僕が熱望してゐることは殉教したいといふことだ」
谷村は言葉が大袈裟になりすぎたので苦笑した。
信子は放心してゐるやうな様子なのである。目をつぶつた。何もきいてゐないやう
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