ない。然し又、幼さが漂ふのも、鼻から唇へかけての線である。信子の顔のすべての感じが薄かつた。だが、やはらかさ、ふくらみに気付くとき、信子の気質のある反面が思はせられる。そこには理想と気品があつた。ある種のものには妥協し得ない魂の高さがあつた。
この女は死に至るまで誰のためにも真実を語らない。肉慾の陶酔に於てすら真実の叫びをもらすといふことがない。信子はその不信によつて人を裏切ることはない。なぜなら、真実によつて人をみたすことが永遠に失はれてゐるのだから。
谷村は公園の鋪道の隅の小さな噴水を思ひだした。彼は山で見た滝の大きな自然が厭らしかつた。河は高さから低さへ流れ、滝は上から下へ落ちる。自然のかゝる当り前さが、彼は常に厭だつた。水は上へとび、夜は明るくならねばならぬ。人工のいつはりがこの世の真実であらねばならぬ。人の理知は自然の真実のためではなく、偽りの真実のために、その完全な組み立てのために、捧げつくされなければならぬ。偽りにまさる真実はこの世には有り得ない。なぜなら、偽りのみが、たぶん、退屈ではないから。
谷村は信子によつてだまされる喜びを空想した。彼自身も信子をだまし得る役者の一人でありたいと希つた。そして彼は、ともかく恋の告白自体がわが胸の真実ではないことを自覚して、ひそかに満足した。所詮、偉大な役者では有り得ない。たゞ公園の鋪道の隅の小さな噴水であり得たら。信子は夜をあざむく人工の光のやうに思はれた。
「僕は信ちやんの自信ほど潔癖で孤独なものは見たことがない。芸術は信ちやんには似てゐない。死後にも残るなどといふのは饒舌なことだ。慎しみのないことだよ。死ねばなくなる。死なゝくとも、在るものは、失せねばならぬ。僕がこの世に信じうる原則はそれだけだから」
谷村は自分の言葉に虚偽も真実も区別はなかつた。彼は自分を突き放してゐた。突き放すことを自覚する満足だけでよかつた。
「信ちやんは、たぶん、自分以外の何人をも信じることはないだらう。信ちやんは永遠を考へてゐない。信ちやんは消えうせる自分を本能的な確信で知つてゐる。哲人たちが万巻の書物を読みその老衰の果てに知りうることを、信ちやんは生れながらに知つてゐる。昔の支那の皇帝が不老不死を夢みたやうな愚を信ちやんはやらない筈だ。信ちやんは現実的な快楽主義者ではないからだ。信ちやんは常に犠牲者だから。生れながらの犠牲
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