いかと私は愚考したわけだが、自分をさらけだし追求し反省するのは小説家の本道で、その意味では小説家は神経衰弱を通りこして一種の告白不感症に憑かれてゐると言つてよからう。W君の場合にしろ要するに完全な私小説を書ききれば医者も文句が言へないわけで、嘉村礒多の小説でも帝大病院へ持つて行つたら医者も辟易して朱筆を投げると思ふのである。告白型といふ点で近代作家は狂人の塁を摩してゐる。
 私は狂人の俗人ぶりに腹を立て本が読みたいと言ふので所持した数冊を置き残して病院を立ち去つたが、途中池袋で賑やかな街へ降りてみると寂寥から酒が飲まずにゐられなくなつた。私は見知らない小料理屋でやけに酒を呷つたものだ。酔うほどに初冬の山中の温泉へ暗い人心を探して行くといふ重さがたまらなくなつてきた。明るい南方へ行かう! 私は急に立ち上つた。
 飲んだくれた私は霊岸島を十時にでた大島通ひの橘丸にふら/\と紛れこんだ自分を見出してゐたのである。静かな航海であつたのに、私一人が吐きくだして苦しんでゐた。朝の四時大島着。冬の海風が冷めたからうと出てみると触る風の和やかさ! 南へ来てよかつたな、旅で充実を感じた稀な経験だつた。

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