それから一年半後のことだが、銀座裏のおでん屋でこの医者に再会した。私は曾《かつ》て眼下に見下した小田原のあの澄みきつた街の灯を思ひだしながら生き生きと彼に言つた。
「あの山上の酒場は今も盛大でせうね! 谷底のやうな下界に街の灯をみつめて、あの呑んだくれた時でさへ魂が高まるやうな感動を受けたのですが……」
「山上の酒場? そんな詩的な場所は小田原にありませんよ」
「そんな筈はない。それぢやあ小田原近郊でせう。とにかく山上のその酒場で貴方と酒を呑んだではありませんか」
「あれは普通の安カフェーの二階ですよ」
 私の放浪はそんなものだ。魂の放浪がひどいのである。かくまでも印象深い街の灯の風景が無残にくづれたとなると、私はもはや小田原の街に就て一語の印象を語る勇気も持ち合せない。
 去年は一夏信州の奈良原鉱泉といふところにゐた。寂寥に堪へきれなくなつて酔ひ痴れ、山を降つて上田市や丸子、大屋、田中村なぞの宿場の旅籠《はたご》に泊つたりしたが、覚えてゐるのは目の覚めた部屋にあつた掛物ばかりで「常に悔ゆる者はよし」なぞといふ有名なクリスチャンの書いたものがそんな場所にあつたりして奇異の感を懐いた
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