ず大ムクレの真ッ最中でした。原因はセラダと同じです。トオサンが小夜子サンと行方不明だからでした。心底の無念はセラダ以上にやる方ないものがあったかも知れません。なぜならセラダにはない嫉妬の炎というものが五臓六腑を荒れ狂っていたからです。
 小夜子サンのお古というのが玉にキズですが、心中の死に損いということや、死の崖へ追いつめられた犯罪人ということなどベリナイスです。
「チョイト失礼」
 八千代サンはセラダの手をぬいて立ち上りましたが、これは便所へ行ってハンドバッグの中から注射器をとりだして戦闘準備のヒロポンをうつためでした。そうとは知らぬセラダがひどく浮かない顔をしてもう自殺以外に手がないようなふさぎ方をしているところへ、イソイソと八千代サンが戻ってきて、
「どうも失礼。いただくわ」
 と云ってハイボールのコップをとってキューと一息に飲みほしたものですから、セラダは茫然、つづいて狂喜雀躍、ただもうむやみに両手をすりあわせ肩をゆすって相好をくずしました。
「アリガト。アリガト。八千代サン。アナタ、ステキです」
 自分でバーへとんで行ってダブルのハイボールをつくってきました。ちょうどそこへ日野が注文しておいた八千代サンと二人分のビフテキをナギナタ二段嬢が運んできたのですが、すっかりむくれた日野はビフテキ二枚ともとりあげて両手に捧げて別のテーブルへ移転です。これをそのまま見送るわけにいきません。八千代サンの胃袋は空腹のため思念もとまれば視力も薄れ失心状態も起りかねないほど急迫していたからです。八千代サンは日野のテーブルにせまりました。その執拗な攻撃力を熟知している日野は両手をひろげて二枚のビフテキの上へ胸もろともにトーチカをつくりました。
「一枚は私のよ」
「ぼくがお金を払うのだから、ぼくのだ」
「だしなさい」
「イヤだ」
 たまりかねてセラダが駈けよりました。
「ワタクシたち、別にビフテキ注文しましょう。いらッしゃい」
「それまで待つわけにいかないわ。オナカがペコペコなんですもの」
「では日野サン、一枚ワタクシに売ってください」
 セラダはテーブルの上へ千円札をおきました。まさかツリはとらないだろう。千円ならわるくはないと見て、日野はだまって皿を一枚だしました。その隙に他の一皿も八千代サンがサッと横から取り上げてしまったのです。
「よせやい」
「千円で一皿はひどいわよ」
「だってセラダサンは一枚売って下さいッて云ったじゃないか」
「私が二枚と云い直す。イーだ」
 セラダと八千代サンは早くもテーブルにつきさっそくビフテキをパクつき、改めてチェリオと乾盃をやっております。日野はイスにもたれてそりかえり、両腕をくみ、両眼をとじ、実に憮然という構えで長い瞑想にはいりました。そのままの姿勢でたっぷり五十分はつづいたでしょう。それこそは元貴族のナレの果ての構え充分の貫禄がそなわっているかに見えたのです。そして彼が目をあいた時には彼氏と彼女はすでに相擁して立ち去った後でした。八千代サンは全然千鳥足だった由です。
 その翌日もまた翌日もセラダと八千代さんは一しょに現れ、相擁して千鳥足で立ち去りました。次の晩から二人そろって姿を見せなくなったのは遠出の証拠と見られたのです。
 日野は毎晩現れて、八千代サンの日ごとの変化と酔態をつぶさに見学していました。彼は彼女にお酒をおごったことがなかったので、その酔態を見たことはなかったのです。よしんば彼がお金持で彼女にお酒をおごろうとしても、トオサンが店にいる限りはそれを許さなかったでしょう。
 女が処女を失うということと、泥酔するということは、ケダモノよりもあさましいものに見うけられました。しかし日野はそれに目をおおうようなことはしませんでした。むしろいつもの倍も目玉をむいて、ジロジロと観察にふけっていたのです。八千代サンが目の前でハダカにされてセラダに犯されたにしても日野の目玉はマバタキしなかったに相違ありません。
 女というものはどうしてこう愚劣なんだろうかと日野はガイタンいたしました。男がこういう愚劣なものに凝らねばならぬ宿命を与えられているということは歎かわしい次第だ。この女の獣的異変と退化性と肉慾性とは平和な時代の道徳と相いれないものがある。侵略の兵隊の女狩りが彼女らの本性にふさわしいもので、兵隊にジュウリンされ隷属する性質のものだ。紳士に隷属すべからざるものなのである。
 してみると男の本性も紳士にあるのでなくて兵隊にあるのかも知れず、世界秩序の本態も平和にあるのでなくて戦争にあるのかも知れん、と日野は考えてしまったほどです。彼がこう考えたのも、フシギに自ら反省する頭を失わなかったからで、なぜなら彼は八千代サンの愚劣きわまる獣的異変と色情狂的酔態を見まもっている間中、彼自身の性器が完全にボッキしたま
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