だと、私はこの年になってつくづくこう思うようになったんだね。私にも性慾はある。老来むしろ旺盛になったかと思われるぐらいの性慾があるんだが、どうもそれを愛情のために用いようてえ気持になれなくなったんだ。男女が本当に愛すてえのは、それじゃアないとつくづく思うようになったんだね。私には理窟はわからねえ。ただもうのッぴきならねえ気持でつくづくそう思わずにいられないだけの話だからなさけない。私はいまの女房をシンから愛している。また、敬ってもいる。だから、どうしても、もう女房のカラダをだくわけにいかなくなッちゃッたんだね。私もよせばよいのに、先の女房が死んだあと、いまの若い女房をもらうようなことをしたが、私としちゃア、こいつはつくづく失敗だったと思ってるのさ。いまの女房が好きだから、特にそう思うのさ。けれども、若い女房だから、私の気持に我慢ができない。一しょに寝てくれないのは愛がないからだと云って怒ったり泣いたり、憎んですらいるんだね。どうも気の毒で仕方がないが、私としちゃア、性慾てえのはシンから惚れていない女に限って用いることで、シンから愛しているものには用いることができない気持になりきっているんだから仕方がない。私は女房にたのむんだ。どうかそこを我慢して、茶のみ友達になってくれ、とね。本当の夫婦、本当の愛人同士てえのは茶のみ友達でつきると思っているんだよ、いまの私はね。けれども女房が怒るのは無理がねえや。私だってそんな気持になったのは五十すぎてからのことだもの。どうも、これは、いけねえな。私は女房のことばッかり喋っちゃッて、カンジンの小夜子サンへの気持のことが、出口がなくなってしまっちゃッたよ」
 この告白に偽りはないのです。それはぼくが知っています。小さい店の隣り部屋に寝泊りしているんですから、オカミサンが泣いたり怒ったり呪ったりして一しょに寝てくれないのは愛がないせいだと時々ヒステリーを起すのを否応なく聞いていました。
 ボクにはトオサンの気持はまだ理解ができません。ぼくが老人になっても理解できるかどうか、怪しいものです。なぜなら、ただ老人だからというわけではなく、現にトオサン自身が自分はむしろ若い時よりも旺盛な性慾があるぐらいだと云い云いしているからです。してみれば、若いぼくにだって理解できない性質のものではなかろうと思われるからです。ぼくにはトオサンの心境は気分的す
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