な意慾を知らなかつた。
 思想性が稀薄であるから、戯作性、面白さと、だき合ふことができなくて、戯作性といふものによつて文学の純粋性が汚されるかのやうな被害妄想をいだいたわけだが、本当のところは、戯作性との合作に堪へうるだけの逞しい思想性がなかつたからに外ならぬ。
 小説にとつては、戯作性といふものが必要なので、それは小説を不純ならしめるどころか、むしろ思想性を伸展させ、育てるものだ。日本には、さういふ文学の正統、つまり、ロマンといふものゝ意慾が欠けてゐた。つまりは本当の思想が欠けてをり、より高く生きようとする探求の意慾がなかつたから、戯作性との合作に堪へうるだけの思想性がなく、ロマンがなかつたのである。
 平野謙が私の小説をデフォルメだなどゝ言ふのは大間違ひで、私ぐらゐ正統的な文学は、むしろ、日本には外にない。私のめざしてゐるものは、ロマン、思想家と戯作者の合作品であり、最も正統的な文学だ。
 批評家は、作家のめざしてゐるものを見よ。最高の理想をめざして身悶えながら、汚辱にまみれ、醜怪な現実に足をぬき得ず苦悶悪闘の悲しさに一掬《いつきく》の涙をそゝぎ得ぬのか。然り。そゝぎ得ぬ筈だ。おん
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