身らは、かゝる苦闘を知らないのだから。日本文学の伝統などといふものを表面の字づらの上で読みとり、綴り合せて、一文を草することしか知らないのだから。
 島崎藤村や夏目漱石がロマンだなどゝは大間違ひです。彼らは、理想の女を書かうともしてゐないではないか。理想の女をもとめる魂、はげしい意慾のないロマンなどがあるものか。
 永井荷風が戯作者などゝは大嘘です。彼は理想の女をもとめてはゐない。現実の女を骨董品の如き好色慾をもつて紙上に弄んでゐるだけで、理想の女をもとめるために希願をこめて書きつゞけられた作品ではない。まだしも西鶴は八百屋お七を書いてゐる。
 大袈裟に力む必要もない。大文学、大長篇である必要もない。さゝやかな短篇で、たとへば、メリメの如く、カルメンからコロンバへ、さらに遂には人を殺すヴィナスの像へ、つゝましく、生長しつゞけて行く彼の恋人、理想の女を見たまへ。一生涯、たつた一人の夢の女を育てつゞけ書きつゞけたメリメといふ先生も奇妙な先生だが、ともかく、そこには、常に読者の胸を打つ何かゞこもつてゐる筈だ。それを読み得る人が読み得た幸をうるだけの、それ以外の何物でもないたゞそれだけのものに
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