もんでは、オレが又困ることになるもんだ。ンナの恥にならねように、今日は病気らと云うてやるが、ンナの返事は、どうら」
「ほう。勝ちゃア、オレにも十両くれるか」
「オヤ。ンナは貰らう気らか」
「くれるんだろう」
「いッち勝てば呉れてやるろも、負けた野郎にはなンにも呉れてやらねがんだぞ」
「もらおうじゃないか」
「オヤ。ンナがいッち勝たねばダメらて」
「馬鹿野郎め。オレが勝つにきまッてるじゃないか。十両なら悪くねえ」
「貰われれば悪くねえにきまっているわ。くらすけられて目をまわしても文句を云うことは出来ねがんだぞ」
「そいつは四人の野郎どもによく云いきかしておいてくれ。恨まれちゃアいけねえや。オレは至って気立のやさしい男だからな」
無論一同の企みであるということは一目で分っている。しかし、何食わぬ顔。
果して計略うまく行くかと気をもんでいた一同は喜んだ。アンニャの総代は鼻介に向って、
「こう云うてはンナに気の毒らが、いッち弱いがんから片附いてもろうがんが都合がよかろて。ンナがいッち先らな。これはどうも仕方がねわ。さて、あとの四人はクジびきが良かろか」
クジをひくと、飛作、海坊主、米屋のアンニャ、鬼光という順になった。
「鼻介の武器はなんだや」
「馬鹿野郎め。鼻介流十手の元祖、天下の名人鼻介を知らねえか」
「ちッとも知らねわ。飛作はなんだや」
「オレは喧嘩の名人らがな。手当り次第になんでもいいが、この棒《ボン》グレらと、鼻介の野郎が泣いて気の毒らのう」
「アッハッハ。田舎の地廻りが棒をふりまわすぐらいじゃア、オレは素手でなくちゃあ将軍様に相済まねえや。サア、こい」
「この野郎」
そこは田舎の地廻りで喧嘩ッ早い飛作、この野郎といきなり身体ごと突きをくれると、生れてこの方飛作の突きが外れたことはないのに、どういうワケだか空をついて前へトントンと泳いでしまった。何のと、ふりむいて一撃くれようとすると、すでにそこへ来ていた鼻介が飛作の利き腕のヒジをチョイとつかむ。飛作は棒をポトリと落して足の爪先で立って背のびしながら、
「イテテテテ……」
見ている者にはてんでワケが分らない。鼻介はチョイとヒジをつまんでいるだけなのである。
「アッハッハ」
鼻介が笑いながらヒジを放して、軽く脾腹《ひばら》をつくと、飛作はググッと蛙の一声を発してグニャグニャ倒れてノビてしまった。
「ヘエ。お代り」
「オヤ。なかなか、やるな。オレは行々寺の海坊主らわ。こんげの火消しのアンニャと違ごて、オレがくらすけると熊の頭の骨がダメになるがんだが、オレれも坊主のうちらて。ンナの頭の骨をあくまでダメにしてとは思わねが、どうら。ンナ、やめねか」
「アッハッハ。江戸へ連れて行って見世物にかけたいような大入道が現れやがった。ここで退治ちゃア、もッたいねえや。サア、おいで」
「この野郎」
大入道が拳をふるって殴りかかる。ボクシングで御承知の通り、スイングというものはめッたに極まるものではない。大入道の拳をかわすぐらいは、鼻介にはなんでもない。散々空をうたせると、さらばと大入道、両手をひろげて、
「この野郎めが」
と躍りかかる。その時チョイと脾腹をつくと、ゲゲッとけたたましい一声を発して、大入道はズシンとひッくりかえってノビてしまった。
「お次ぎの番だよ」
「オヤ。ンナはなかなかヤワラの手が上手のようらて。オレは真庭念流の剣術らが、ヤワラてがんは日本一の名人れも剣にかかればなンにも役に立たねもんだが、ンナはそれれも承知らか。むかし佐々木岸柳という野郎は宮本武蔵という野郎に木刀れたッた一つシワギツケられて死んだもんだわ。オレも木刀らが、ンナ、あやまれ。そうせば、やめてやるわ」
「アッハッハ。おめえはいくらか腕が立つかな。田舎の棒フリの手を見てやろうじゃないか。もッたいないが、一ツ十手を使ってやるかな。さア、おいで」
「この野郎。頭の皿わられるな」
はじめて両者ピタリと構える。米屋のアンニャがジッと見ると、相手もなかなかやる。けれども一尺五寸ほどの十手のことだから、大したことはない。木刀の間《マ》にはいるとやられるから、奴メ一人前に十手を構えて遠く離れていやがる。ジリジリ進むと、ジリジリ下りやがる。当り前のことだ。ジリジリ進む。ジリジリ下がる。ジリジリ進む。とたんに相手がササッと進んだものである。一瞬もその気配を察知し得なかった米屋のアンニャ、すでに相手が間《マ》にはいっているから、いきなり振り下す。空を斬ってトントントン。利き腕を打たれてポロリと木刀を落す。鼻介の左手でチョイとヒジをつままれて、爪先で延び上って、
「イテテテテ……」
チョイと十手で脾腹をつかれると、ギュウとノビてしまった。
今度は本職の剣術使いだから大丈夫だと思っていたのに米屋のアンニャまでノビたから、一同は驚いた。
鬼光は蒼白となって脂汗をしたたらせガタガタふるえだした。
そのとき、
「これこれ。もはや試合には及ばぬぞ。そッちの大男も、もう、ふるえるには及ばぬ。さても驚き入ったる手の中」
と声をかけて現れたのは、遠乗りに来かかって一部始終を見とどけた家老であった。
石川淳八郎の代稽古、米屋のアンニャを苦もなくひねッているから、これ以上腕ダメシの必要はない。さッそくお城へ連れ帰って、殿様に披露する。
腕達者の若侍を十名一時にかからせてみると、ヒカリモノの気配から六七寸だけ背中を離して、あっちへ逃げ、こっちへ逃げているうちに、一人ずつノバされてしまった。殿様はことごとく感心して百石で召抱える。
家老は鼻介をよんで、
「鼻介流元祖というのは威厳がないな」
「それじゃア、イダ天流といきましょうや」
「ウム。飛燕流小太刀の元祖。これだな。これにしろ」
「あッしゃア、何でもようがすよ」
「姓名は江戸にちなみ、飛燕の岸柳にちなんで、武蔵鼻之介はどうだ。これが、よかろ」
「エッヘッヘ。武蔵はいけませんや。由利の旦那がオトキの娘のオ君の聟になってオレの分家になってくれろてんで、由利鼻之介でなくちゃアいけねえというワケで。どうも、すみません」
鼻介の奴、オデコを抑えて、ニヤリ、柄になくいくらか赤い顔をした。
底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「オール読物 第六巻第三号」
1951(昭和26)年3月1日発行
初出:「オール読物 第六巻第三号」
1951(昭和26)年3月1日
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年8月30日作成
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