といって、こういうズルイ奴が現れるから始末がわるい。
だいたい岡ッ引などやろうというのは、天下の悪者、ズルイ上にもズルイ奴にきまっているから、奴めは鼻介と名のる通り、オ君の聟とり話を嗅ぎ当てて、悪計を胸にえがいて江戸を立ってきたのかも知れない。
目明では暮しが立たないから、鼻介は色々の仕事をしていた。トビのようなこともやるし、頼まれれば細工物を作って納めたり、大工仕事でも、井戸掘りでも、なんでもやる。鍛冶屋の店先をかりて、自分の十手を細工したり、カギのようなものをこしらえたり、何に使うか分らないような妙なものをせッせと作ったりすることもある。あの野郎、十手をあずかりながら、忍び道具をこしらえて泥棒をはたらいているんじゃないか、と疑る者もいるほどであった。
鼻介が何用でオトキの妾宅へ出入りしているかということが分ると、若者たちはオドロキを通りこして、居ても立ってもいられない恐怖にかられた。
彼は一日妾宅を訪れて、
「エエ、江戸名物、日本一の大探偵、鼻介でござい。聟殿の身許調査の御用はいかがで。迅速正確、親切丁寧、秘密厳守、料金低廉、あくまで良心的」
と売りこんだのである。実に彼こそは本朝興信所の元祖であった。若者の心胆が冷えきったまま温まらないのは当然というもの。
そこで十里四方の人間どもが一致団結して鼻介撃滅の壮挙にでたかというと、どこの国でも一番近いところに五列が忍んでいるから始末がわるい。どの村の娘もまるで相談したように鼻介に声援を送り、田吾作はオラとこへ七へん忍んできたれ、お寺のアネサのとこへも忍んで行ってけつかるがんだ、というようなことをスラスラと鼻介にうちあけてしまう。あっちのアンニャもこっちのオンチャも、独身の若者という若者がオ君の聟を狙って魂をぬきあげられているから、アネサどもは怒り心頭に発しているのである。
したがって鼻介の情報は彼の自負通り正確丁寧、水ももらさぬ趣きがあるが、実に出所が厳正、これ以上に真相を語る者の有りうべからざるところから出ているのだから、アンニャもオンチャもアレヨと慌てふためくばかり、口惜しいけれども、どうにもならない。高枕に高イビキで安眠できる者が一人もいないのである。
田舎は算数の大家がそろっているから、
「物は相談だが」
と云って、金包みをもって鼻介を訪ねてくる。金包をひらいてみせて、うまく取り持ってくれるとこれだけやる、チリンチリンと一枚ずつ音をさせてみせた上で、又、そっくり持って帰る。手附金だの袖の下というものをビタ一文でも置いて行くようなズルイ奴はいないのである。まさしく実直。国法の罪にかかるところがミジンもない。それどころか、これを放置しておくと、
「鼻介の野郎、ヨダレの三斗もだしやがって、オレが財布をフトコロへ納めたら、イヤハヤ、奴メのタマゲたこと、キンタマが垣根にひッかかったみてえなザマしたものだ。あの慾タカリめが」
ということになって、ズルイ上にもズルイ劣等人種にされてしまう。けれども、鼻介は心得があるから、そんなことは云わせない。
人が訪ねてくる。鼻介の住宅は物置を改造したものだから、台所もあらばこそ、部屋は一ツしかない。
「誰だ? ま、はいれ」
と云うと、戸がスルスルとあく。鼻介の野郎は奥の自在鍋の前にデンと坐っていやがる。ハテナ、誰が戸を開けやがったのだろう、とウロウロ見まわしていると、
「早くはいらねえか。田舎ッぽうのノロマ野郎め。礼儀一ツ知らねえ野郎だ。寒くッて仕様がねえや」
客がはいると、戸がスルスルと閉じる。奥にいる鼻介は動きもしないし、ほかに人の姿はどこにもない。呆れてボンヤリしていると、隅から座ブトンがスーと動いて自在鍋の前でピタリと止る。
「マア、敷きねえ。ボンヤリ立ってるんじゃねえや。テキパキしなきゃア、日が暮れらア。だから、見ねえ。二十いくつにも成りやがって、子供の智慧もつきやしねえや。ノロマ野郎め」
見ると、天井も壁も畳の上もヒモだらけである。ヒモは方々から全て奴めの周囲に集っている。これをひッぱると、戸が開いたり閉じたり、鍋や釜もこッちへ来たりあッちへ引っこんだりする仕掛けになっている。
一方の壁には等身大の人体図が書かれていた。灸点のようなポツポツがタクサン打ってあるのは、これが五百六十五の急所というのかも知れない。
「物は相談だが」
「ナニ。物は相談だと。どいつも、こいつも同じことを云やアがる。なにかい。この土地じゃア、お早う、今晩は、と同じように、物は相談だが、てえきまった挨拶があるのかい」
こう云いながら膝の下から三四寸の釘のような物をとりあげて、人体図に向ってヒョイと投げる。顔の急所と覚しきところへ釘はピュッと突きささっている。
客がフトコロへ手を突ッこむと、
「よしねえ、よしねえ。そんなところから何を出したって何にもならねえよ。つまらねえことをしやがる。こッちはベロをだしてやるから、そう思え」
ピュッと釘を投げる。急所へグサリ。客がそッちを見ているうちに、どうヒモをひいたのか、戸がスルスルとあく。
「戸があいたぜ。帰んな。帰んな」
と、追いだしてしまう。
いかに礼儀知らずの岡ッ引とは云え、重ね重ね無礼千万。これ以上放ッておいては、一人の鼻介に十里四方が征服されたようなもの。そこでアンニャの有志が集合して、
「あの野郎をこのままにしておいては、この村に男が居ねと云われても仕方があるめ。こう言われては、末代までの大恥をかかねばならねもんだ」
「そうらとも。どうしても、いっぺん、くらすけてやらねばならねな」
ということになった。
★
いっぺん、くらすけることになったが、実行の方法がむずかしい。大ボラをふくだけあって多少は腕に覚えがあろうし、江戸で十何年もいた奴はどういう狡智悪計にたけているか知れない。
近郷近在のアンニャのうちで、衆評一致した豪の者は、草相撲の横綱鬼光、これは強い。六尺三寸、三十八貫、江戸の大関でもあの野郎の鉄砲一発くわせたら危ねえもんだわと若い者をほめたがらない古老が言うほどであるから、推して知るべし。歯が立つ者がないばかりか、奴めにふりとばされると柱の中辺よりも高いところへ叩きつけられて肋骨を折った者もあるし、腰車にかけられてイヤというほど土に頭を叩きつけられて目をまわして息はふき返したが薄馬鹿になったという者もある。押しつぶされて足の骨を折った者もあるし、たった一発の鉄砲で仰向けに五間もふッとんで目をまわしたものは無数であるから、鬼光の鉄砲は封じてあるが、どだい相撲を封じなければ怪我人は絶えない。今では進んで鬼光に勝負を挑む者は一人もいなくなった。これに次ぐ豪の者といえば行々寺の海坊主。坊主には相違ないが、まったく海坊主のような化け者坊主で、名題の山男。熊でもムジナでも叩き殺して食ってしまうという実に大変な奴で、時々荒行と称して山にこもるのは、この味が忘れられないせいだ。
町の者では米屋のアンニャが、米屋ながらも真庭念流の使い手で、石川淳八郎の代稽古、若ザムライに稽古をつけてやるという達人だ。もう一人、町火消の飛作というのが喧嘩の名人、町奴を気取って肩で風を切って歩いている。以上の四人は万人の許す強い者、土地の言葉でいッちキッツイモンである。
そこで有志のアンニャから丁重な使者が差しむけられ、四人の豪傑に集ってもらった。ナマズ、ドジョウ、タニシ、雀、芋、大根、人参、ゴボウなどとタダの物を持ちより二の膳つきの大ブルマイ。
「話というのは外でもねえが、オメ様方をいッちキッツイモンと見こんで、ここに一ツの頼みがあるてもんだて。鼻介の野郎を一発くらすけてやらねば十里四方には男が居ねというもんだが、さて、あの野郎もタダ者ではねえな。オレが睨んだところでは、生き馬の目の玉をぬくてガンが、あの野郎のことらね。オッカネ野郎さ。さア、そこで、オメ様方に腕をかしてもらわねばならねてもんだが、ここに困ったことには、あの野郎も十手をあずかる人間のハシクレであってみれば、ただくらすけるワケにもいかねてもんだ」
十手ときくとグッと胸につかえたドブロクを飲み下して何でもないらしい顔で静かに目をとじた鬼光。
やがて、もっともらしく目を光らせて、
「オラトコのオトトとオカカの話によれば、ンナもいつまでも相撲ばッかとッて居られねぞ。アネサもろて身かためねばダメらてがんで、なんでも来月ごろにはよそのアネサがオラトコのヨメに来るという話らてがんだネ。アネサもらえば若えアンニャの気持ではいけね。よそのアンニャと相撲とるのはもはや今後は堅くやめねばならねゾてがんだネエ。そんげのことで、オラ今度相撲とると、オトトとオカカに叱られねばならねがんだテ」
土俵の上よりも力がいるらしく、額と鼻の頭には汗の玉がジットリういている。百姓は理窟ぬきで役人を怖れる。長く悲しい歴史の然らしめる習性。身に覚えのあるアンニャの総代はゲラゲラ笑いたてて、
「オメ様に一ツくらすけられると熊れも狼れもダメになるほどのキッツイモンを、オトトもオカカもめッたに叱るわけにはいかねもんだわ。オラそんげに命知らずのオトトの話もオカカの話もきいたことがねえもんだ。そんげのオトトとオカカが居るがんだれば、オメ様の代りにオトトとオカカにきてもろて鼻介の野郎をくらすけてもろた方が話が早えわ。安心しなれて。あの野郎をくらすけても文句のでねような方法が、ここに一つあるがんだ」
そこで一同は額を集めて密議を重ねる。めでたく相談がまとまって、その晩は前祝いに充分のんで、一同アンニャの総代のウチに泊りこむ。
さて、翌朝になった。この村は鼻介がオトキの妾宅へ通う道に当っているから、一同は仕度をととのえて鎮守様の社の前に集り、また村中にふれをだして、
「オーイ。面ッ白《シ》ェことになるれ。みんな早う、来いや、来いや」
人々をよび集めて、鼻介の通りかかるのを今か今かと待っている。
鼻介が通りかかった。アンニャの総代が走って行って、
「オーイ。鼻介」
「何を云やアがる。唐変木め。口のきき方も知らねえ野郎だ。又、物は相談だが、じゃアあるめえな」
「アハハ。今日はチョッコリ仲間にはいって貰いてもんだが」
「バカヤロー。てめえ達の仲間にはいっていられるかい。こッちは忙《せわ》しいんだ。顔を洗って出直しやがれ」
「そういうワケには、いかねえな」
「なにが、いかねえ」
「オレがきいたところでは、ンナはたしか剣術を使うことが上手らという話らッたが」
「モタモタ云やアがるなア。日が暮れるぞ、ほんとに。剣術を使うが、どうした」
「ちょうどンナにいいことがあるて。ンナも知っているだろうが、十里四方にキッツイモンは誰かと云うと、みんなが四人の名をあげるな。鬼光、海坊主、米屋のアンニャ、それから飛作の四人の野郎だて。ンナには気の毒の話らが、ンナの名をあげる者は誰もいねな。さて、四人のいッちキッツイ野郎は誰らという話になると、それが困ったことには、術の種類が違うがんで、野郎どもの顔が一度も合うていねもんだ。オレはアレがいッちキッツイ。ウソこけ、コレらは。もうはや喧嘩になって仕様がねもんだ。そこでオレの村ではみんなが相談して、そんげのことで毎日みんなの者が喧嘩していたがんではいけねから、四人の野郎に来てもろて勝負をつけてもろたらよかろ。タダで頼むわけにもいかねから、いッちキッツイ野郎には金の十両もくれてやれば、あの野郎どものことら、大喜びで勝負つけよてもんだ。さて、そういうことに話がきまって、今日が勝負をつける当日らて。ンナもいいとこへ通りかかったもんだわ。ンナが通りかからねば、誰もンナみてな馬鹿野郎を思いだす者はいねがんだが、ンナの姿を見たもんだ。あの馬鹿野郎も自慢こいて威張ってけつかるがんだが、入れてみれ、面ッ白《シ》ェわ。そうら、そうら、てがんだ。それでオレがンナをよびに来たのらが、オレの本気を云えばンナは仲間にはいらね方が利巧らな。ンナにはとても十両の金はとれぬし、くらすけられて目をまわすのはまだいいが、ノビてしもて息を吹き返さねと来た
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