抵抗して、信長勢を三人ぐらいは斬り伏せたというような武勇譚も歴史に残っていないのである。インチキ軍記や講談にも存在しない。しかし、この村には実在している歴史であるし、それを否定する鑑定機械はどこにも実在しないのである。
 調多羅坊はこの村に落ちついてから、ツラツラ天下の歴史にてらし乱世の有様をふりかえッて悟りをひらいた。ツラツラ乱世の原因をたずぬるに、実に野郎が武器をいじくるのがよろしくない。しかしながら武器武術というものは、これは存在しなければならないものだ。なぜならば、これが神仏に具わる時には威風となり、崇敬すべき装飾となる。ところが野郎がいじくるから、神仏をはなれて乱世をおこす。だから武器武術は神仏に具わると共に、女が花をもつ手でいじくってこそ真の妙を発する。これを天地陰陽の理というのである。だから天地の理によると、武器武術をつたえて神仏をまもるものはジャベでなければならん。こう会得したから、女房をもらい、ナギナタの手を伝えて、手長神社をまもるミコにあがめて、自分の女房を一生大事に崇拝したのである。
 これが天狗様の中興の縁起である。一説によると、調多羅坊は鞍馬の山伏であるとか、鞍馬の天狗の化身であったなどという。そこでこの神社や、ひいては現在の神主のことまで、天狗様と云うのである。
 こういうわけで、調多羅坊の大精神は今も脈々と伝わり、天狗様のところでは、アネサが威張ることになっている。天狗様のアンニャはヨメをもらうと、もうダメだ。なぜなら、アンニャのアネサは、花と同時に武器武術を身にそなえているからである。天狗様の実際の化身はアネサなのである。
 天狗様のアネサは、否、彼女はすでにミコサマとよばれているから、そう呼ばなければならない。ミコサマは自分がまだ老境に至らぬうちから、つまり自分の生んだアンニャが七ツ八ツの頃から、その年頃の女の子に目をつけて自分の後継者を物色する。アンニャが生まれなくとも、子供のジャベを物色して養女にすることが義務である。アンニャの如きは問題ではない。
 かくして選んだ女の子を幼より膝下に育て、みやびな踊り音楽からナギナタの手に至るまで、花も実もあるミコの素養を伝えるのである。
 天狗様のアンニャがクマと同じ年頃であったから、彼女が七ツ八ツのころ、ミコサマが彼女ぐらいのジャベを物色していたのである。彼女が不幸な夢をいだいたのは、この
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