のが薄々分っているものだ。これが、又、人間の悲しいところでもある。アネサは身の程を薄々感じていた。オレがいい着物がきたい、天狗様のアンニャのヨメになりたいと云うと、誰かがなぜか笑うような気がするが、そうではあるまいか、というような、もっと漠然とした感じ方であった。
天狗様というのは、この村の鎮守様のことである。本当の名は手長神社というのだそうだ。もう一ツ山奥の隣の村には足長神社というのがある。二ツは親類筋のものらしいが、祭礼の行事などはもう関係がなくなっている。というのは、この村の人たちは村の古伝などが大切だとは思わないし、手長神社は久しく誰も顧る者がない廃社になっていたのを、元亀天正のころ一人の風来坊が住みついて、全然自分勝手に再興したからであった。
この中興の風来坊を調多羅坊というのである。彼は比叡山の山法師のボスで、ナギナタの名人であった。刃渡り六尺七寸五分、柄をいれると、一丈五尺という天下第一の大ナギナタを水車のようにふりまわす。
元亀二年九月十二日、織田信長が比叡山に焼打をかけ、坊主数千人をひッとらえて涼しい頭を打ち落したとき、調多羅坊はカンラカラカラと打ち笑い、ただ一人根本中堂の前に残って敵の押し寄せてくるのを待っていた。
押し寄せた敵軍のただ中へ躍りこみ、大ナギナタを水車の如くにふり廻し、槍ブスマの如くにくりだす。その延びるときは百尺の鉄槍の如く、さッとひいて縮むときには一尺五寸の小鎌のようである。横に振えば一度に三十五人の首をコロコロと斬り落し、そのナギナタを返すトタンに三人の胸板を芋ざしに突いて中空へ投げすてる。手もとを一廻転したナギナタは同時に後方の敵を十五人なぎ倒し、前方では同じ数の敵の首をコロコロと打ち落している。左へ走り右へ廻り、林をとび、伽藍をこえ、あたかも千本の矢が入りみだれて走っているように叡山を縦横にはせめぐって寄せくる敵をバッタバッタと斬り払ったが、ついに、根本中堂をとりかこむ広場は首と胴を二ツにはなれた敵の屍体でうずまって、石も土も見ることができなくなり、足の踏み場がなくなったから仕方がない。もはやこれまでと谷を渡って、落ちのびた。山伏に姿を変えて諸国をまわり、この山奥の手長神社に住みつくことになった。
しかし、日本中の史書や軍書をひもといても、調多羅坊はでてこない。それどころか、とにかく一人の山法師がナギナタをとって
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