は、とうてい、敵にあらず、バタバタバタッ、と倒れて、ガバとふし、額を庭の土へすりつけてしまった。
「参りました」
 ハア、ハア、という荒い息使いの知覚が戻ってきた。とにかく、心臓がとまらなかったのがフシギというものだ。
「恐れいった。とうてい敵ではござらん。世にかほどの達人があろうとは、夢にも思い申さなんだ。拙者の太刀筋などは児戯に類するものでござる。アア、天下は広大也」
 淳八郎、溜息をもらし、嘆息している。
「ヤ。天晴《あっぱれ》である。淳八郎も嘆くでないぞ。チョーセイは神業である。その方の不覚ではない。世にも稀代な神業があるもの哉」
 と、殿様は大変な大感服。そこでホラブンはお召抱えとなり、諏訪文碌斎竹則と名乗る。百石とりの武芸師範となり、兆青流の開祖となった。
 淳八郎はじめ多くの若侍が弟子入りして、チョーセイ、チョーセイの咒文は城下にみちみちたが、兆青流が今日に伝わらないところをみると、誰も極意をきわめる者がなかったのだろうと思う。



底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
   1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「オール読物 第五巻第一一号」

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