の屋敷に糞をまかせて何百年間寝る瀬がないようにしてくれるから、そう思え」
「ホ。そうか。ドレ。ドレ。ホ。山犬があたけてけつかる。よし、よし。オレがしずめてやろう」
 大そう気を入れて、たのまれなくても、という打ちこみ方。彼の顔はかがやいている。
「オ。千吉。コラ、このガキ、きこえないか」
 ホラブンは村中の子供の名前を一人のこらず知っている。みんな友だちだからである。
「ホラ。千吉テバ、ブンさんがウナこと呼んでるろ」
「なんだね」
「モチ竿かせ」
 千吉のモチ竿をかりて、ちょッと一ぺん、ふってみて、出かけて行く。
「アレ。あの野郎。蝉とまちがえてやがる。何をするつもりだろう」
 ホラブンが出陣したから、段九郎は先へ廻って、山犬をケシかける。十匹が一とかたまりに、ホラブンめがけて襲いかかろうとする。
「オットット」
 ホラブンはヘッピリ腰にモチ竿を犬の方へつきだして、竿の先をチョイ、チョイ、チョイ、とゆさぶりながら、
「チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ」
 右にまわし、左にかえし、後へひき、前へだす。モチ竿の尖端が、生あるごとくに、微妙に震動して、何ごとか話しかけているようである。山犬は竿の先に向って吠えるだけで、とびかかることができない。
「ホレ。チョーセイ。チョーセイ。ホレ。チョーセイ。ホレ。チョーセイ。チョーセイ」
 十匹の山犬は一様にシッポをたれて、後足の中へシッポをまきこんでしまった。大きな口をあいて、長い舌をだして、苦しそうに息をしている。疲れきった時の様子である。もう吠える力はない。モチ竿の先端を見ている犬の目は、恐怖と、アワレミを乞う断末魔の目である。
「ホレ。チョーセイ。ホレ。チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ」
 山犬は一かたまりに口をあけノドをふるわせて、恐怖のあまりに泣きだしそうだ。ホラブンのヘッピリにあやつられつつモチ竿は寸一寸と前進する。犬はジリジリと悲しい息の音をたてながら後退する。境内を出外れて藪へかかったが、モチ竿の前進はやまない。非人小屋をも過ぎると、犬は目立って絶望した。もはやポタリポタリ涙を流している。モチ竿はまだまだキリもなく進む。ついに前の一匹が空を見上げてクビと肩をふるわせて悲鳴をあげたのを合図に、十匹がひとかたまりに、すくんで、ガタガタふるえた。その瞬間、
「エイッ!」
 モチ竿の一閃。山犬の頭上まッすぐさしぬくように突き閃いて、電光石火、横に虚空を切りはらう。山犬はハッと一かたまりにうずくまって目をとじ、前肢に目をかくして、虫のようにすくみ、死んだように動かなくなってしまった。
 ホラブンはモチ竿をぶらさげてニコニコもどってきた。
「イヤハヤ。雀とちがって、山犬は疲れるわい。犬はどうしてもモチ竿にかからんもんだて。イヤハヤ、一手狂うと、庄屋のオジジに糞をまかれるところだった」
 非人頭の段九郎。山犬のカタキをうつどころの段ではない。ホラブンの威にうたれて、顔色を失い、しびれたようになっている。
 人だかりにまじって、この一部始終を見ていたのが、遠乗りのついでに祭礼を見物にきた家老の柳田源左である。舌をまいて、驚いた。若党をかえりみて、
「コレ、コレ、あれなる偉丈夫は何者であるか、きいてまいれ」
「ハ。きかなくとも、分っております。ちかごろ城下でも高名なチョーセイ、チョーセイのアメ売りでござる」
「左様か。これへつれてまいれ。殿に推挙いたしたら、大そうお喜びであろう」
 こういうわけで、ホラブンは源左につきしたがって、殿様の前へつれて行かれた。

          ★

「山犬は進退敏活、隙を見てかかるに鋭く、目録ほどの使い手に相当いたす。目録十名にとりまかれては、一流の使い手も太刀先をしのぐのは容易の業ではござらん。かのチョーセイ、チョーセイは、十匹の山犬を赤子をねじふせるように易々とねじふせてしまい申した。まことに稀代な神業でござった」
 こう云って、源左が殿様に吹聴したから、殿様は大そう喜び、当藩の剣術師範、真庭念流の使い手、石川淳八郎をよんで、
「チョーセイ、チョーセイの手のうちを験《ため》してみよ。目録十名の使い手にとりまかれて、赤子のようにねじふせる手のうちであるから、その方も油断いたすな」
「心得申した」
 面小手の用意をととのえ、ホラブンを御前へ召しよせる。聞きしにまさる偉丈夫。何クッタクなくニコニコして、大そう愛想がよさそうである。
 淳八郎がホラブンに向って、
「しからば、一手お手合せを願い申すが、貴公は何流でござろう」
「これは、どうも恐れ入りました。手前のは唐渡り祥碌流という皿まわし、それから、海道筋を興行中に、彦根の山中にて里人から習い覚えた鳥刺しの一手、その後に美濃、熊野、阿蘇、伊賀、遠江、甲斐、信濃、阿波等の山中に於きまして
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