一夜があけてしまった。
もはや呼んでも返事がないから、一同も顔色を変えて、井戸の底へ紐につけたローソクを下してみたが、カメの姿が見えない。さア、大変だ。みんなガタガタふるえだした。昭和の我々が空襲だ原子バクダンだと云っても生きる希望はあるが、カメが死んだとなると一同の獄門はハッキリしている。死から逃げ道がないのであるから、言い合したように歯の根が合わなくなって、みんなの足がコチコチ、コチコチと井戸端のタタキを自然にこまかくふんで合唱をおこす。ローソクの紐を持っている男は、手の自由を失って、上げることも下げることもできず、ただ、ふるえが止まらない。ローソクがプラン/\ゆれて、水面へ突きだしているカメの鼻をやいたから、カメは水中でとびあがった。
「ワアッ。人殺し!」
「ワッ。カメの幽霊が出た」
「待て。待て。そうじゃないぞ。幽霊が人殺しなんて叫ぶのはきいたことがない。まだカメは生きているらしいぞ。オーイ。カメや。生きているか。たのむから、返事をしてくれ」
「この嘘コキども。オレは井戸から上ってやらないぞ。ツルベの水をくませてやらないから、そう思え」
「ワア、生きている」
にわかに安心して、ヘタヘタと腰をぬかしたのが、十五人も二十人もいる。
多茂平も生色をとりもどして、
「カメ。たのむ。もう、嘘はこかんから、あがってくれ」
「ダメだ」
「そんなら、井戸の底へザルに入れてミソ漬けのムスビを降してやるから、それを食って、嘘をこかんところを見とどけてから、上ってこい。どうだ。承知してくれるか」
カメは腹がペコペコだから、待っていました、文句はない。
「よし。それなら、上ってやる。五ツでは、今度は、ダメだぞ。今度は二度目だから、十よこせ。見せただけではダメだぞ。食ってから、上ってやる」
さっそくミソ漬けのムスビをしこたまこしらえてザルに入れて綱をつけて降してやる。カメはこれを一つ余さず平らげて、とうとう望みを達したから、この上の慾はない。
「ようし。分った。ただ、とびこんだだけではダメだ。一晩井戸の中にいると、ムスビをくれるな。シメ、シメ。これで野郎どもの考えが分った」
カメは安心してスルスルあがってきた。
「この野郎」
よってたかって、ふんづかまえる。ぶんなぐる。
「アッ」
カメはおどろいて井戸へとびこもうと思ったが、ちゃんと手筈がついている。二手に別れて、一手
前へ
次へ
全15ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング