は素早く井戸のフタを閉じてしまった。
こうなっては、仕方がない。オカにいると、何をされるか分らない。井戸がなければ、川の中へ逃げこむ以外に手がないから、カメは人々の手の下をくぐって、一目散に逃げる。
「野郎まて! 今度こそはカンベンしないぞ」
井戸のフタをとじておけば、大丈夫。ウンとこらして、ウップンを晴らさなければ、胸のうちがおさまらない。そろってカメの後を追っかけた。
カメは必死であるから、その早いこと。ムジナやウサギを追いまくった執念のこもった脚であるから、オカを走っても早い。町をぬけ、タンボを突ッ走ッて、阿賀ノ川の堤へでると、もう安心、ドブゥンととびこんでしまった。
「野郎め、水に心得があるな。身投げじゃないぞ。だまされるな」
井戸とちがって、川には舟というものがある。もうカンベンはできない。ここで奴めを見逃して引きあげると、つけあがらせてしまうから、是が非でもフンづかまえて、ギュウという目に合わしてやらなければならない。
町内の一同は十何艘という舟をつらねて、こぎだした。
阿賀ノ川は猪苗代湖に水源を発して日本海へそそぐ川である。太平洋側の河川は、越すに越されぬ大井川などと大きなことを言うが、大水がでた時のほかは至って水がすくない。ひろい河原をチョロ/\と小川が流れているだけのことだ。たいがいの川がそうである。
ところが日本海へそそぐ川は、河口から相当さかのぼっても、一般に水量が多い。阿賀ノ川はそれほどの大河ではないが、常に水は満々としている。
カメのとびこんだところは、流れの幅がタップリ二百|米《メートル》はあって、その全部がほとんど背が立たない。この二三里下流へさがると、日本でたった一ヵ所のツツガ虫の生息地で、この区域の川へはいると命が危い。もっとも当時は、人々がそんなことを考えていたか、どうかは分らない。
人々は十数艘の舟をつらねて漕ぎだしたが、カメの姿はどこにも見えない。
「奴め。苦しまぎれに本当に身投げしたのかな。そうすると、大変だが、イヤ、イヤ。一晩中井戸の中にいて平気な野郎だ。バカの智恵というものもバカにはならないぞ。ひょッとすると、沖へ逃げたとみせて、岸の浅瀬に身をひそめて鼻で息をしているかも知れないぞ」
手わけして探しまわっているうち、ふと対岸をみると、カメがオカへあがって一休みしている。
「この野郎」
対岸へ漕ぎよせ
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