てゐるかと思つて、何本よりも熱意に燃えて読んだほどだつた。
私は近頃発禁になつたといふ「猟奇」だの「でかめろん」だの「赤と黒」だの「りべらる」を読む人々が、健全にして上品なる人士よりも猥セツだとは思はない。私も、もし、カーマスットラを読んだ頃のこの現実に絶望しない童貞の頃だつたら、まつさきに、これらの雑誌を読んでみたに相違ない。不幸にして、今はもう読んでみる気にもならないです。私の方が、よつぽど、その道の達人なんだから。すくなくとも、私は退屈してゐるのです。
春本を読む青年子女が猥セツなのではなく、彼等を猥セツと断じる方が猥セツだ。そんなことは、きまりきつてゐるよ。君達自身、猥セツなことを行つてゐる。自覚してゐる。それを夫婦生活の常道だと思つて安心してゐるだけのことさ。夫婦の間では猥セツでないと思つてゐるだけのことですよ。誰がそれを許したのですか。神様ですか。法律ですか。阿呆らしい。許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我!
肉体に目覚めた青年達が肉体に就て考へ、知らうとし、あこがれるのは当然ではないか。隠すことはない。読ませるがよい。人間は肉体だけで生きてゐるのではないのです。肉体に
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