入学させてしまつたのである。金がかかるといつてこぼしてゐたが、一風変つた私学の風習が牧野さんの趣味にかなつた様子で、あの学校の父兄の中では「牧野さん」(彼は時々自分に敬称をつけて呼んだ。むしろ愛称といふべきで、かういふ点でも彼は完全に自己に憑かれてゐた人である)が最も貧乏だと頻りに吹聴してゐたが、それはひがみでなく、ここでも彼は暁星第一の貧乏な父兄であることを巧みに自家設計の人生へくり入れて楽しんでゐた形であつた。その頃から神経衰弱もおさまり、私との神経的な反目も柔らいだが、その頃から私は文学上の見解で彼と争ふやうになり、昔のやうに足繁く往来しなくなつた。そのうちに、牧野さんは五反田の霞荘へ移り、小田原へ帰り、横須賀へ移り、再び霞荘へもどつた。それが去年の十一月のことだ。この期間牧野さんは昆虫採集にふけつてゐた。これも彼の設計による人生である。
 横須賀では毬栗《いがぐり》頭にしてしまつた。兵隊の生活を見てゐるうちに同化されてやつたらしいが、飲み屋へ行くと中尉には間違はれるが、どうしても大尉には間違へられぬと笑つてゐた。これも彼の設計された人生であらう。

 東京へ移つた報らせで私が訪
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