でくれ、俺を一人にしないでくれと懇願した。然し母堂は海岸へ散歩にでかけた。
 帰つてきたのが五時半頃で、牧野さんの姿が見えない。台所で女中が夕飯の仕度をしてゐたのだが、牧野さんが納戸へはいつた姿は気附かなかつたのである。女中が部屋々々を探したあげく、納戸で英雄君のへこ帯を張り縊死した彼を見出した。

 誰の責任でもなかつたのだ。牧野さん自身すら。「夢が人生を殺した」のだ。それがほんとの真相なのだ。よしんば死を早めた多少の事件があるにしても、彼の如き純粋な死に限つてそれは全く問題にならぬ。彼の死は暗い事件ですらない。彼の文学と死の必然的なそして純粋な関係を見るなら、自殺は牧野さんの祭典だつたかも知れない。私はさう思つた。なぜつて彼の死ほど物欲しさうでない死はないのだ。死ぬことは彼にはどうでもよかつたのだ。すべてはただ生きることに尽されてゐた。彼の「生」は「死」の暗さがいささかも隠されてゐない明るさによつて、却つて余りにも強く死の裏打ちを受けてゐた。生きることはただ生きることであるために、却つて死にみいられてゐたのだ。だから彼の死は自然で、劇的でなく、芝居気がなく、物欲しさうでないのだ。純
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