を連れてきてくれと瀬戸君に懇願し、突然母堂の肩に手をかけて、たのむからあれを呼び寄せてくれと叫んだりしたといふ。死の一週間前英雄君も暁星が休みになつたので小田原へ遊びに来た。その時の親父の喜びやうといつたらなかつたさうだ。そのくせ奥さんへの気兼ねからか、突然翌日東京へ戻してしまつた――
死ぬ前日梅焼酎を一升のんだ。
自殺の日、生憎瀬戸君が留守だつた。もし瀬戸君がゐたら、気がまぎれて死ななかつたらう。小田原へ来て以来、牧野さんは一番たまらないのが黄昏だと言つてゐたさうだ。夜になればいくらか落ちつくといふ。それは私も思ひ当る。ボードレエルにもさういふ詩があつたやうだ。黄昏の狂気のやうな寂寥は孤独人の最も堪えられぬ地獄の入口のやうな気がする。牧野さんは又、こんなことも瀬戸君に語つた。自分の今一番欲しいのは素直な若い女の友達だ、と。女中であつてすらいい。然し商売女ではいけない、と。
五時が来た。例の黄昏が近づいたのだ。母堂が海岸へ散歩にでかけやうとした。その二時間ほど前、牧野さんはピンポン台に紐を張り首を入れて自殺の真似をやつてゐたさうだ。牧野さんは突然母堂に縋りついて、どうか出かけない
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