る。牧野さんが泉岳寺附近にゐた頃だから五六年前のことだが、稲垣足穂が突然やつてきて、貧乏で食へないしめんどくさいから首でもくくらうと思つてね、と唄でもうなるやうな早口でベラ/\まくしたてたといふ話だつた。あんな厭味もなく気取りもなく自殺をベラ/\まくしたてたのは聞いたことがないね、と私に語つたことがある。そのほかに自殺の話はしたことがない。
私はこの数年転々と居候をしたが、牧野さんのところぐらゐ居候心持のいいところはなかつた。てんでほかの家とけた違ひに居候がしいいのである。居候といふ感じがみぢんもしない。ただ生きるといふそれだけの事柄に対して彼ほど至上のいたはりを具えてゐた人はないだらう。
牧野さんも小説の中でずいぶん方々に居候をしてゐる。また実際方々で居候もしてゐた。然し私が彼の家で遇されたやうに、彼が方々で居心持のいい居候でゐられたかどうか甚だ疑はしいものがある。然し小説の中に於ては恰《あたか》も私が彼に遇されてゐるやうに快適に遇されてゐる。――私は彼の文学の方式によつてかくも好遇されたのである。そのとき私も彼の文学の一点景であつたのだ。彼ほど実人生を文学によつて設計し、直し
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