出掛けの酒がきいたのかも知れないが、暗闇で秋水の顔も形も見えないのが、彼の神経を逞しくしたのかも知れなかつた。三平は肉体も精神も脆弱で、痩せたチッポケな身体は婦女子の一突きによろける程であつたし、その精神は常に結論を見失つて迷路の中をあがいてゐた。まつたく彼が四十になつてもまだ生きてゐるのは不思議だといふ取沙汰であつたが、然し、彼のチッポケな肉体にも彼なみの烈々たる希望はあつたのである。それは「夢と現実」といふことの派生した一つの解きがたい謎に就ての考察であつた。
現に、見よ。眼前の暗闇に対座してゐる秋水といふ坊主に就て考へても、彼は生臭坊主であり食ひつめた果の山寺住ひであるにしても、共産党の赤旗を担いだり、山寺へ閉ぢこもつたり、彼には彼なりの夢と現実の交錯があり、その解きがたい綾糸の上をもつれ歩いてゐるのであらう。下根の秋水如きは問題とするに足りない。共産党と坊主そのものに就て考へれば、彼らはいづれもこの現実に彼等の夢を実現し得るものと信じてゐる。前者は共産主義社会を、後者は悟り、法悦の三昧《さんまい》を。ところで文学はどうであるか。荘子は夢に蝶となり、この夢の中の夢の自分と、現世
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