のところだ。今朝まで大和の柳生の道場に泊つてゐたがね、久しく寺を無人にしておいたから、そろ/\甲州へ帰らうと思つて。お経が巧くなつたから、読んできかせてやらう」
「イヤ、たくさんだ。俺が死んだときまで、しまつておいてくれ」
現れたのは富永秋水といふ共産党くづれの坊主であつた。
黒衣の僧服に振分荷物を担いで杖をついてゐたが、荷物の中からウヰスキーの角瓶をとりだした。
「ヤア、そこにも有るぢやないか。ヘエ、朴水の婚礼かね。丁度よい。俺がでかけて、お経をあげてやらう。暗いのは玉に瑕《きず》だが、久々に健康を祝すとしやうか。小田原は蒲鉾ときまつてゐるが、この節は売つてゐるかね」
と忽ち姿を消したのは肴を買ひにでかけたのである。天帝の憐れみたもうた絶好の機会であると考へて、三平は逃げださうと試みた。なぜなら、共産党くづれの生臭坊主が現れたのでは、苦心の計も水の泡で、それぐらゐなら真ッ直婚礼へ行く方がましだ。けれども決心のつかないうちに、もう秋水は蒲鉾をブラさげて戻つてきた。表口からは売らないから、裏口からお経をあげて買つてきたのである。
ところが不思議なことに、この日の三平は酔つ払つた。
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