三平は神経衰弱で永生きはできないのだから一升置いてつてやれ。どうせ俺達がお通夜の酒を飲むことになるのだから」
「容れ物がなければバケツぐらゐあるだらう。掃除ぐらゐはしてゐる筈だから」
「ウーム。バケツは――」
 と三平は顔色を変へて青眠洞の腕に縋りついたが、青眠洞は瀕死の瀬戸際の病人の枕元でも情実によつて動くところのない人物であつた。彼はコップを見つけだし、酒をなみ/\とついで先づ自分が一杯飲みほし、次に五六人に飲ませて一升を五合ぐらゐに減らしてから三平に渡した。
「遅れて来るとき信助に挨拶を述べさせちやいけないぜ。あいつは婚礼の時はきまつておクヤミを言ひやがる。朴水は担ぐんだからね。ぢや、先へ行くぜ」
 一行が立ち去つてものゝ十分とたゝないうちに上りだか下りだかの列車が着いて、駅前の通りを人がぞろ/\と通りはじめた。燈火管制でどの店からも火がもれず黄昏の舗道に跫音《あしおと》だけがゴチャ/\してゐる。すると、一人の男が暗い店先へ這入つてきた。
「ヤア、ゐるな。蛸博士」
「イヤ、信助は出掛けてゐるけど」
「なんだい。三平ぢやないか。之は都合が良い。信助を誘つてどうせ、貴公を訪ねるつもり
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